本研究のために残されていた以下の課題が解明され、総合的研究が果たされることになり、残るは大部の原稿作成のみである。 コミンテルン本部によるアムステルダム・サブビューローへの資金援助決定額は在外ビューローのうち最高であったが、実際の支給額は大幅に削られた。更にその大半を占めた宝石類が殆どベルリンの西欧書記局によって着服され、活動当初から資金難がつきまとった。 サブビューローは本部によって議会主義と労働組合問題に関して立場違反があったとして解散されたが、むしろ途中で方針転換したのは本部であった。しかも変更後の立場が本部からサブビューローに強制され、それはまさしくボリシェヴィキ化の始まりであった。
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