14-15世紀イングランドにおける聖体拝領に関する説教に関する本研究の研究実績は以下のようなものである。第一に「聖体の祝日」がイングランドに導入された14世紀初頭以降15世紀にかけての「聖体の祝日」のための説教史料を同定した。 逆に、これまで聖体の祝日の説教として論じられてきた14世紀イングランド農民反乱におけるジョン・ボールの説教は、聖体祝日説教としては考えられないことも明らかにした。第二に、誰がどこで、どのような立場で、聖体拝領に関するどのような教説を、どのような聴衆を念頭において、どのようなテクニックを用いて、どのような言語で、その説教を著述しているかを分析する点について、とりわけ学識ある聖職者を聴衆に想定する説教と、俗人を最終的聴衆として想定するもののあいだの違いに、ロラード派の説教が位置する知見をえた(ここに関連して、教皇庁がおかれていたアヴィニヨンにおいて説教の形式について非常に明敏な違いを学識説教者たちがもっており、それが当時の正統異端論争にも関連していたこと明らかにした)。関連して、同説教における聖体拝領をめぐる時代的変化をについて、正統派の教義の広範な伝播、学問的かつ民衆的異端の出現、さらにそれに対する正統派のカウンターという過程が見られるが、特にロラード派出現以降の正統派説教の教義的な議論がそれ以前にくらべて明確にあらわれることを観察した。中世後期のイングランドにおける説教というメディア自体の変貌に関しては、ラテン語・英語混淆体の説教を記録する写本が多数出現する15世紀の状況を明らかにすることができた。これらの成果については多数の口頭報告を国内外で行ってきたが、それらをそれぞれのかたちで公刊する準備を進めている。
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