研究課題/領域番号 |
15K02982
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
岩永 省三 九州大学, 総合研究博物館, 教授 (40150065)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 古代国家 / 都城 / 国庁 / 空間構造 |
研究実績の概要 |
本研究では6世紀代に構築された氏族制的・族制的原理による支配制度が、7世紀後半に中央集権的支配機構を動かす官僚制・官司制的支配制度へ転換した様相を考古学的方法で明らかにすることを目的としている。今年度には、8世紀代の地方官衙のうち国庁の建物配置がいかなる歴史的背景の中で形成されたのかの研究を開始し、それに影響を与えた宮中枢部施設の構造と国家の帝国的方策との関係を確認したうえで、大宰府政庁や西海道国庁の建物配置の歴史的評価を再検討した。まず、律令制府の中国・朝鮮半島政策、隼人・南島政策、蝦夷政策の時期的推移を探り、帝国標章の盛行・顕在期を探った。その結果、顕在期は7世紀末~8世紀第一4半期と8世紀第三4半期~9世紀の2時期あると判明した。この2時期の意義を念様に7世紀末~9世紀初頭に至る宮の中枢部構造の変化を調べた。平城宮第一次大極殿院と中央区朝堂区画の構造の意義、それが平城環都後復活しなかった事情を考察し、長岡宮の構造への長安城宮城・皇城の影響、平安宮大極殿への長安城大明宮の影響を検討した。 大宰府政庁Ⅱ期については平城宮中央区大極殿院・朝堂区画を圧縮・接合した形態として設計され、帝国意識高揚期の産物であると結論付けた。8世紀前半における西海道国庁の建物配置基本型は大宰府型ではなく、むしろ城柵政庁型に近く、その配置が西海道と陸奥・出羽にあるのは、帝国の中で「蕃客」「化外民」と対峙した地域にみられることは、脇殿における政務よりも正殿と広い庭における服属儀礼や饗宴を重視したものであることを結論付けた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究実施計画では、今年度に近畿・北陸地方の官衙遺跡に関する情報を収集し、時期区分・遺構配置復元、構造復元、機能推定を行い、宮都の諸施設との異同を検討吸う事になっており、計画通り、資料情報の収集を進めた。当初の計画では、宮跡・官衙遺跡の建物配置・空間構造の検討も中心課題に据えており、それは順調に進めつつある。特に西海道における大宰府政庁・国庁の構造について通説と異なる見解に達し、論文としてまとめた。「古代都城における帝国標章の浮沈」であり、『大宰府史跡発掘調査50周年記念 大宰府の研究』(2018年10月刊行予定)に掲載される。
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今後の研究の推進方策 |
今後は当初計画通りに年度ごとの資料収集を進め、研究計画調書で設定したA~Eの解明目標について検討を行う。A.中央政府における天皇の政治への関与形態、天皇と臣下との身分的関係の表現型式、政治や儀式の執行形態などとその変動を復原する。 B.前期難波宮から平安宮に至る諸宮の宮内における官司の比定、配置、各官司の構造とその変遷を可能な限り復元し、中央政府における官僚機構・官司制の形成・整備過程を復原する。 C.7~8世紀の各地の国衙・郡衙・末端官衙遺跡を総合的に検討し、政庁域や正倉域などの施設ごとに遺構配置の類型化と時間的変化傾向の分析を行う。 D.地方官衙の政庁・官衙の建物配置・構造と、宮都の中枢部(朝堂院・大極殿院・内裏など)、宮都の諸曹司との系譜関係や機能的類似度を明らかにする。 E.評・郡の設定の方式、および評・郡の設定に際しての在地首長層の郡司への任用、末端官僚としての国家機構への取り込みがいかなる方式でなされたのかを検討し、文献史学界で蓄積されている研究成果の検証を行なう。
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