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2015 年度 実施状況報告書

東国における初期仏教文化の導入と展開

研究課題

研究課題/領域番号 15K02986
研究機関駒澤大学

研究代表者

酒井 清治  駒澤大学, 文学部, 教授 (80296821)

研究期間 (年度) 2015-04-01 – 2018-03-31
キーワード寺谷廃寺 / 勝呂廃寺 / 赤沼窯跡 / 棒状子葉単弁軒丸瓦 / 枠板模骨丸瓦
研究実績の概要

埼玉県滑川町寺谷廃寺は、東日本最古の寺院といわれ、出土須恵器から620~630年代以降と考えた。寺谷廃寺は、創建瓦が素弁8葉軒丸瓦であるが、その後棒状子葉単弁8葉軒丸瓦が使われるようになる。
寺谷廃寺の棒状子葉軒丸瓦は、その後7世紀後半に埼玉県比企地域に分布し、東松山市大谷瓦窯跡、坂戸市勝呂廃寺などで出土する。すなわち比企地域の北部から南部へ広がった背景を探ることを行った。
大学院生6名を研究協力者として、南部へ広がった瓦の検討を行うため、鳩山町教育委員会所蔵の赤沼窯跡出土瓦を借用した。今年度は軒平瓦と丸瓦の実測、拓本、写真などの作業を進めた。それは、研究目的にもあるように、棒状子葉軒丸瓦が奈良県山田寺単弁軒丸瓦の亜流と考えられていることを検討するためである。山田寺の軒平瓦は重弧文であるが、赤沼窯跡、勝呂廃寺の軒平瓦は格子叩き文である。また、丸瓦が枠板模骨で作ることが特徴である。この枠板模骨丸瓦は、尾張元興寺には7世紀第3四半期には出現しており、それが山田寺系軒丸瓦と、軒丸瓦一本作りとともに、東山道か東海道ルートで関東へ伝播するようである。
また、赤沼窯跡と勝呂廃寺の鎬を持つ単弁8葉軒丸瓦の外区が重圏文の変容ととらえ、山田寺式軒丸瓦の要素が東山道経由で伝えられたと考えた。さらに勝呂廃寺の型押廉状文軒平瓦と同じ文様が、三河・遠江に見られることから、そのルートについて検討したが結論は出なかった。いくつかの文様、技術の伝播経路が想定されたが、今後さらに検討していく予定である。

現在までの達成度 (区分)
現在までの達成度 (区分)

3: やや遅れている

理由

大学院生6名を研究協力者として、南部へ広がった瓦の検討を行うため、鳩山町教育委員会所蔵の赤沼窯跡出土瓦をテンバコ9箱分借用した。今年度は軒平瓦と丸瓦の実測、拓本、写真などの作業を進める計画であった。しかし、借用の許可が遅れ、借用できたのが夏休み後となり、研究協力者が個々の計画を立てており、図面などの作業が予定通り出来なかった。
28年度は、新たに5名の研究協力者を増やして実測等の作業を進める。

今後の研究の推進方策

本研究の方向は、瓦から見ると比企地域北部の寺谷廃寺から、比企南部の勝呂廃寺へ系譜が読み取れそうである。比企南部では勝呂廃寺の瓦を焼成した南比企丘陵窯跡群との関係の解明が一つの目的である。
しかし、研究を進めていくうちに、勝呂廃寺造営者についても検討すべきであると考えるようになった。幸い駒澤大学考古学専攻、考古学研究室では、大学の実験実習費で勝呂神社古墳の調査を進め、本地域を歴史的に解明することになった。
酒井の瓦研究を中心とした勝呂廃寺と南比企丘陵窯跡群との研究と、考古学研究室の地域の歴史的意義の解明の両者の研究を、お互い情報交換しながら進めようと考えている。

次年度使用額が生じた理由

研究協力者を6名予定していたが、研究のために鳩山町教育委員会から借用する赤沼窯跡出土瓦の借用依頼をしたものの、借用できたのが夏休み後であり、研究協力者の多くが予定を入れてしまっていた。そのため、実測の作業が進まず、それに伴う研究も停滞してしまった。

次年度使用額の使用計画

今年度は新たに5人の研究協力者を予定しており、計画通り作業を進めていく予定である。

  • 研究成果

    (1件)

すべて 2016

すべて 図書 (1件)

  • [図書] 日本古代考古学論集2016

    • 著者名/発表者名
      須田勉・酒井清治・井上和人・網伸也・大橋泰夫・荒井健治・出浦崇・眞保昌弘・山口耕一・菅原祥一・清水昭博・内田律雄・花谷浩・奧村茂輝・小嶋芳孝・笹生衛・高島英之・谷口榮・薮中五百樹・梶山勝・後藤建一・伊藤博幸
    • 総ページ数
      679(424-438)
    • 出版者
      同成社

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公開日: 2017-01-06  

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