研究課題/領域番号 |
15K02994
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研究機関 | 花園大学 |
研究代表者 |
高橋 克壽 花園大学, 文学部, 教授 (50226825)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 帆立貝式古墳 / 若狭 / 囲形埴輪 / 柵形埴輪 / 朝鮮半島 / 特殊遺構 / 木柱 |
研究実績の概要 |
研究3年目にあたる2017年度は、福井県若狭地方の古墳時代中期中葉と推定される脇袋丸山塚古墳の発掘調査を計画通り実施することが主たる目標であった。関係方面との調整の後、2017年8月7日~9月10日にかけて、若桜町歴史文化課の協力を得て、現地にておこなった。 調査は墳丘とその外表施設に関する調査区と、前方部地下に存在が推定されていた特殊遺構を明らかにするための調査区を設定した。前者は、後円部東斜面と前方部北斜面の2か所からなる。調査の結果、帆立貝式古墳である脇袋丸山塚古墳の後円部は2段築成で高さは6.6メートル、前方部を含めた古墳の全長は52.0メートルとなること、墳丘斜面は川原石を多く用いた葺石で覆われ、墳丘頂上の平坦面や段築テラスには埴輪が多数樹立されてあったことが明らかになった。なお、埴輪列が推定された段築平坦面において、木の柱を立てた跡としての柱穴を検出した。 出土した埴輪は、これまでの若狭地方の出土品には見られなかった特色をもつものであることが、発掘調査後の整理作業によりわかりつつある。現段階では、囲形埴輪に属すると考えられるものや、柵形埴輪に関連するものなどが墳頂に多数配置されていたことがわかった。いずれも、大和政権中枢の当該製品との関係の強さを物語る。 一方、前方部の特殊遺構は、築造当初の地表面を掘り込んで設置した木棺ないし木造の施設で、それの上部はおそらく木製の蓋をかけ、その周囲を粘土で目張りしたものであった。前方部はその後に盛り土を開始し完成させたと見られる。なお、施設の南半のみ最後まで掘り下げたが、その範囲では遺物はまったく出土しなかった。 このように、脇袋丸山塚古墳には畿内の大和政権と朝鮮半島との双方からの直接的な影響をあわせもつ独特な性格がうかびあがった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究の直接の対象として想定してあった、中期前葉の藤井岡古墳、藤井岡三昧古墳、そして中期中葉の脇袋丸山塚古墳に対する発掘調査や測量調査、埴輪の表面採集などを十分とは言えないにしても遂行し、中期古墳の動態についてかなりの情報が集まった。 若狭地方に最初に大型前方後円墳の上の塚古墳が造られた5世紀前葉には、三方エリアに中規模の円墳である藤井岡古墳、藤井岡三昧古墳が埴輪と葺石を備えて登場するが、若狭では珍しい壺形埴輪を用いており、日本における若狭の地域性やその中でも東への起点に位置する立地から東日本的な要素と指摘できる。いっぽう、甲冑形埴輪や家形埴輪には畿内大和政権との関係も垣間見え、同時代の首長墳である上の塚古墳との差異が明らかになった。続く5世紀中頃には、初期の横穴式石室をもち、半島や九州との直接交渉を担った被葬者像が想定できる向山1号墳が尾張地方との関係で独特な埴輪をもっていたのに対して、脇袋古墳群に属する脇袋丸山塚古墳は、首長墓以上に大和政権から直伝された埴輪をもっていたことがわかった。 一方、前方部特殊遺構については、向山1号墳同様、半島の関わりを読み取ることができた。脇袋丸山塚古墳の年代が確定したため、中期後葉の中規模墳としては、小浜市の太興寺古墳群を検討する必要が新たに生じた。 ところで、残念ながら発掘がかなわなかった藤井岡三昧古墳の墳頂にある家形埴輪は、採集資料の詳細な検討から、本来の形が寄棟造家であることが判明した。これは、申請者が2017年度に「寄棟造家形埴輪の研究」題して『古代文化』誌上で公表した論文において、東日本の特色のひとつに寄棟造家の伝統が強いと指摘した内容とよく合致するものであった。 若狭の埴輪の評価のための、越前地方をはじめとする北陸地方の埴輪についての検討作業も順調に進んでいると言える。
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今後の研究の推進方策 |
2017年度には若狭町が脇袋古墳群の広い範囲を取った赤色立体図を作成した。これにより、申請者が取り組んできた若狭地方の中でも中核地域の脇袋周辺の悉皆的な古墳の把握が可能になるという新しい状況が生じた。そこには、脇袋丸山塚古墳とともに上下の森古墳群を構成する別の1基が、脇袋丸山塚古墳の築かれた尾根の付け根の丘陵高所に存在していることも読み取れる。赤色立体図がなければ確認できなかった重要な古墳である。 このような新情報に基づく調査が必要な古墳は、これまでの若狭地域全体の中では上下の森古墳以上のものはないが、先に述べた小浜市太興寺古墳群の見直しも必要と考える。さらに、若狭町教育委員会が計画している脇袋古墳群の首長墳に対する史跡整備に伴う調査が本年度実施されるのであれば、その成果も吸い上げて、古墳時代中期における若狭地域における中規模古墳の動向を首長墳の新情報を加えて議論することができよう。そうして、総括的な研究報告書の作成を行うつもりである。 なお、調査範囲が半分にとどまってしまった脇袋丸山塚古墳の特殊遺構に対する補足調査、保存処置が難しい藤井岡三昧古墳の家形埴輪の取り上げ、上下の森古墳に対する測量調査など、規模は大きくないが実施できる機会があれば、積極的に行動したい。
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次年度使用額が生じた理由 |
507円は当該年度の予算に限りなく近い額であり、端数として残ったものである。次年度の最終決済の際にも同様な端数や不足が見込まれるので、いまあえて使わないでおいた。
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