21世紀に入って、日本の古墳時代研究は3世紀後半以後を、「前方後円墳体制」等と称して、律令国家に先立つ初期国家段階であると喧伝されるようになった。それにより、我が国の国家形成は以前の歴史学の理解よりかなり早い段階から用意され、古墳時代を通して完成に近づいていくという歴史観が広まりつつある。 この考え方は、大和政権中枢の大王墓と各地の古墳との相関関係を探る首長系譜研究がもとになっているため、中下位の古墳は顧みられることが少ない。そのため、6世紀に復活する各地での前方後円墳の姿に、大和政権の直接支配がそのクラスにまで及んだとする理解まで表明されてきたが、若狭地域ではそれを否定する結果が得られた。
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