研究課題/領域番号 |
15K03017
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研究機関 | 首都大学東京 |
研究代表者 |
杉浦 芳夫 首都大学東京, 都市環境科学研究科, 名誉教授 (00117714)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 地理学史 / 中心地研究 / Karol Bromek / Edgar Kant / Peter Woroby |
研究実績の概要 |
今年度はまずBromek(1947)に目を通した。Bromek(1947)の前半では、Christaller(1933)に依拠しながら、ポーランド全土の中心地が9階層から成り立つとした上で、最上位の第Ⅸ階層~第Ⅵ階層の中心地について具体的に列挙している。論文後半では、クラクフ県の中心地を7階層に区分している。Bromek(1947)の末尾で、以上の中心地の階層区分が国土計画に寄与し得ることを示唆していることからわかるように、実は第二次世界大戦直後のポーランドにおいて、空間計画中央局によって策定された国土復興計画中の集落ネットワーク構築案では、Christaller(1933)の中心地理論が参照されていたのである。Bromekはその立案に携わった一人であるが、中心人物は建築学出身の地理学者Dziewonskiであった。戦前までの都市・地域計画論をレビューしたDziewonski(1948)では、Christaller(1933)の中心地理論が詳しく内容紹介されており、空間計画中央局の国土計画に関する報告書中(Dziewonski and Wejchert, 1947a)では、国家首都ワルシャワを最上位集落とする九つの中心集落の理念型が示され、別の報告書においてそのうちの上位中心集落の分布図が示されている(Dziewonski and Wejcert, 1947b)。以上のポーランド語文献より得られた知見は、これまでポーランド以外では全く知られていない事柄である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
ナチ・ドイツによる編入東部地域(ポーランド西部)の中心集落再配置計画に中心地理論が応用された事実にもかかわらず、第二次世界大戦直後のポーランドにおいて、国土復興計画中の集落ネットワーク構築案に、ナチスの御用計画論ともいえる中心地理論が参照されていた事実をほぼ明らかにし得た。しかし、国土復興計画に関する当時のポーランド語の文献・報告書の入手が不十分なため、完全な事実解明には至っていない。また、ナチ・ドイツの植民地的存在であったポーランド総督府領(ポーランド東部・南東部)の集落再配置計画にも中心地理論の応用が検討されていたとされるが(Rossler, 1990)、そのことを示す重要文献(Graul, 1941)も入手し得ていないので、ナチ・ドイツの中心集落再配置計画の、戦後ポーランドの集落ネットワーク構築案に対する影響の有無を十分に検討できていない。なお、以上の研究とは別に、地理学に限らず、ポーランドの学問分野はソ連の研究動向の影響を受けているため、ソ連の中心地研究の動向についても、英語論文を中心に文献研究を行なった。ソ連で中心地理論に対して関心が持たれ始めるのは、ポーランドよりはるかに遅く、スターリン体制が否定され、学問分野でも西側諸国との交流が再開する1950年代末のことである。中心地理論に対しては、当初、否定的評価が下されたが、1970年代になると一定の評価がなされるようになった。しかし、消費活動よりも生産活動をはるかに重視する国策とも関係して、ソ連での中心地研究は活発ではなかったようである。
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今後の研究の推進方策 |
ポーランドの国土復興計画は、1940年代末に本格的な社会主義政権がポーランドで樹立されたのに伴い、そして国土計画立案組織形態も大きく変わることによって、机上プランのまま棚上げされた。その結果、中心地理論を参照して作成された集落ネットワーク構築案も、日の目を見ることはなかった。社会主義政権の登場に伴って、学問分野でもマルクス主義が絶対視されるようになり、幾何形式論的と決めつけられた中心地理論は、ブルジュア理論としてマルクス経済学者から徹底的に排斥された。そのため、集落ネットワーク構築案は、実現しなかっただけでなく、その理論的根拠が完全否定されることにもなったのである。おそらくは、そのことが遠因となって、1970年代になる頃までポーランドではいわゆる中心地研究は行なわれてこなかった。1960年代に入ると、中心地研究とは銘打たないものの、Christaller(1933)を引用した、農村集落ネットワーク構築に関する研究がなされるようになった(Chilczuk(1963)がその嚆矢である)。したがって、ポーランドにおける中心地理論の受容を検討するには、1960~1970年代に展開する農村集落ネットワーク構築論に関する文献に目を通すことが必要と考えられるため、2016年度には、戦後すぐの国土復興計画関連の文献・報告書のさらなる渉猟に加えて、この方面の文献研究を進める予定である。それに伴い、2016年度に予定していたエストニアでの中心地理論の受容に関する研究への着手が遅れることになるかもしれない。その点を考慮して、エストニアの中心地の成立と関係する、エストニアの大市(fair)の分布に関するGrepp(1933)の研究については2015年度に検討を加えた。
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次年度使用額が生じた理由 |
翻訳料の確定額がわかるのが遅かったため。
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次年度使用額の使用計画 |
差額は、消耗品の購入に充てる予定。
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