2017年度は、エストニアにおける中心地理論の受容について明らかにするため、Edgar Kant(1935)を精読し、エストニアの中心地研究の特徴と概要を、影響や応用までも視野に入れて考察した。判明した事実は以下の通りである(詳細は『都市地理学』13巻掲載予定論文参照)。 第二次世界大戦末期にエストニアからスウェーデンに亡命したEdgar Kantが1935年に母国で発表した中心地研究は、世界で最初に都市集落システムの研究に中心地理論を援用したものであった。そこで明らかにされた中心地勢力圏の階層構成は、アメリカ地理学界では機能地域論の実証例として評価された。そして、Kantの教えを受けてスウェーデンで中心地研究を行なったGodlundが提唱した中心地勢力圏画定モデルは、計量地理学の展開に少なからず影響を与えた。また、地理学の実践的応用にも熱心であったKantの薫陶を受けたエストニアでの弟子ならびにスウェーデンでの教え子は、中心地理論を念頭に置きながら、それぞれの国において自治体領域再編(方針)案の策定に取り組んだ。さらには、第二次世界大戦の戦局如何では、Kantがナチ・ドイツによるエストニアにおける集落再配置計画への協力を要請される可能性があったこともわかった。 なお、2017年度に予定しておりながら着手できなかったカナダにおける中心地理論の受容に関する研究は、2018年度から新たに始まる課題で改めて取り組み続報として発表する。また、ポーランドにおける中心地理論の受容の全貌を解明するためには、1960~1970年代に展開する農村集落ネットワーク構築論に関する文献にも目を通す必要があることがわかり、こちらについても2018年度から開始される課題で取り上げ、杉浦(2017)の続報として発表するつもりである。
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