1898年に創立された東京移民合資会社は、1907年に約1,500 人の契約移民がカナダへ送出した。それらは宮城、神奈川、福井、鹿児島や沖縄県などの9県からの出身者であった。さらに、出身地での生業によって、渡航後には炭鉱夫と鉄道保線工に振り分けられた。カナダ太平洋鉄道の雇用者名簿や小切手などから、先に渡加した日本人リーダーとその部下からなる組織構造が判明した。 契約期間の満了後、鉄道契約移民はサケ缶詰産業をはじめとする他産業へと転業する場合が多かった。契約移民の輩出にあたって血縁・地縁関係を基礎とした集団移住が行われ、その後の移動と転業の諸相も、さまざまネットワークによって展開したのである。
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