亡命法学者とその弟子にあたる主要な研究者、亡命法学者の亡命先の研究者やその弟子との連携による戦後の国際的な連携作業を確認した。亡命法学者の弟子には、戦後ドイツの法学界で重鎮となり、戦後の法律学を先導した者が多い。たとえば、ラーベルとケメラー、さらに孫弟子であるシュレヒトリームやハーガーの関係にみられる。亡命が、これらの弟子と法理論に与えた影響は、亡命法学者自身の戦後の影響以上に大きい。亡命法学者とその弟子筋の学者の影響関係を検討した。こうした影響は、日本でも従来必ずしも評価されてこなかったが、その影響は大きい。 また、学問的な関係だけはなく、ドイツとアメリカを中心に比較法研究所や比較法のコースが整備され、恒常的な外国人受け入れの体制が形成された。研究者が、ドイツのドクターコースのほかに、アメリカのでも学位をとるコースが形成されたのには、亡命法学者の功績が大きい。 さらに、ドイツでは、2012年以降、歴史の全面的な見直し作業が行われおり、そこでは、亡命法学者に関する新たな知見が明らかになりつつある。ドイツの検討作業は、おもに迫害側の実務家、政府の高官を対象としているが、行われた迫害への反省や被害者の関係者、被害者の周辺からの擁護の動きなどに戦後の法形成の萌芽をみることができる。ドイツの検討作業をも参考として、日本法でも、亡命法学者の学問的な影響を明らかにした。 日本には、ナチスの民法学と、それ以外の者、とくに亡命法学者の民法学との二重の影響があったが、その相互の関係を外国法から影響をうけた日本法の業績についても検討した。また、わが国では近代法の出発点となったお雇い外国人も、法移転を担っており、とくにユダヤ系など迫害をうけた者について検討した。その後も、日本には、こうした被迫害者から薫陶をうけた者がかなりおり、日本法における1つの特徴となっていることが確認された。
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