本研究では第一に、特許権は特許出願人が自己の発明を公衆に開示し、その代償として公衆から付与されるものであることから、特許権の発生はいわば特許出願人と公衆(およびその代理人である特許庁)との間の社会契約であり、特許権の侵害は社会契約の違反であるとする見方について、社会契約思想を参照しつつ研究した。その結果、欧米所有権思想に強い影響力を与え、それが現代の知的財産権の基礎付けにまで援用されるロックの社会契約論、およびその分配的正義(社会正義)の理解が特に国際知的財産法における「南北」問題解消の局面でしばしば援用されるロールズの社会契約論が、特許権という私的な独占権の正当化根拠において持つ積極的意味を明らかにした。 また第二に、合意の拘束力の根拠を中心に、近時米国で議論が展開されている契約法の基礎理論を研究した。具体的には、ポズナーらの法と経済学による「効率性」の思想、ドォーキンの権利論に影響を受けたフリードの約束原理に表れる「権利」の思想、ケネディーらの批判法学による「批判」の思想のそれぞれについて検討した結果、それらが特許制度の社会契約的構成に与える影響を明らかにした。 さらに第三に、以上の検討を踏まえて、こうした「社会契約としての特許制度」という構造理解が、特許法に現存するさまざまな解釈・立法上の課題の解決にどの程度役立つのかを研究した。たとえば出願人の意思解釈という点ではクレームの解釈手法や出願経過禁反言等について、また合意への制度的介入という点ではキヤノンインクカートリッッジ事件で顕在化した特許製品の修理加工による権利消尽の限界や、アップル対サムスン事件で争われた差止請求権の制限といった特許法が抱える喫緊の課題について、それぞれ分析を加えた。
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