研究課題/領域番号 |
15K03285
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
岡山 裕 慶應義塾大学, 法学部(三田), 教授 (70272408)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | アメリカ / 行政機関 / 情報公開 / 情報の自由法 / 連邦議会 / 大統領 |
研究実績の概要 |
助成期間の4年目にあたる本年度には、大きく二つのことを行った。第一は、本研究課題の対象であるアメリカの連邦レベルの情報公開制度において、情報公開の対象となる行政機関をめぐって、立法の行われた1960年代までにどのような政治力学が成立していたのかに関する分析の総まとめである。アメリカでは、行政機関が憲法上の三権のいずれにも属さないため、三権がどのように行政機関に統制を及ぼすのか自体が政治争点となり、また時期によってその対立構造が変化してきた。本年度は、1940年代から50年代に大統領が行政機関をよりよく掌握すべく設置した行政専門家による2つの諮問委員会による検討を軸に、この点を明らかにしようとした。6月に分析の見通しをアメリカ学会年次大会で口頭発表したうえで、8月に連邦議会図書館にて史料調査を行った。その成果はJudicializing the Administrative State: The Rise of the Independent Regulatory Commissions in the United States (Routledge, forthcoming in 2019)と題する単著の一部にもなっている。 次に、本年度には1966年に成立した情報の自由法について、その審議過程の本格的な分析を開始した。立法を主導した下院のジョン・モス議員の個人文書については既にある程度検討を加えており、「知る権利」を主張するジャーナリストの利益団体などを含めた政治状況については把握済みである。それに加えて、上下両院の委員会・本会議レベルでの検討を精査し、ここまでの検討に基づいて設定した分析枠組みに基づいて、どのように審議過程の展開を叙述するのが分析上望ましいのかを本格的に検討している段階である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究課題では、情報公開制度(情報の自由法)の導入をめぐる政治を検討の対象としているが、その際導入の要因のみならず、情報公開の範囲が行政機関に限定されたのがなぜかに着目して分析を行っている。とくに、連邦議会がこの制度の導入を積極的に推進した反面、当時のジョンソン大統領が拒否権の行使も検討したという、立法府と執行府の立場の非対称性に注目して、行政機関による情報公開がなぜそのような違いを生み出したのかという観点から分析を進めてきた。つまり、先行研究が政府と社会をそれぞれ一枚岩とみて、後者が前者に「知る権利」に基づいて情報公開を求めたことで制度が導入されたという見方と異なり、政府の異なる機関の間で生じた競争・対立の帰結として情報公開制度が生み出されたという見方をとる。 当初、本研究の進め方としては、1960年代の全体的な政治・行政の背景を把握した上で直ちに立法過程の検討に入ることを考え、初年度には立法に中心的役割を果たしたジョン・モス下院議員の個人文書の調査も行った。しかし、検討を進めるうちに、立法権・執行権・司法権の憲法上の三権が競合しながら行政機関を統制するというアメリカの権力分立をより深く検討し、行政機関の置かれた位置づけを法的な観点から把握する必要に迫られた。それによって、三権、とくに連邦議会と大統領が行政機関をめぐってどんな対抗関係にあるのかを理解できるためである。 そのため、スケジュールを変更し、必要に応じて現代の行政国家の基礎が形成されたニューディール期まで遡り、連邦議会と大統領が行政機関の統制をめぐってどのように争い、また憲法上・行政法上行政機関がどう位置づけられてきたのかを検討してきた。これは一見迂遠のようでありながら、本研究の目標を達成する上で不可欠な作業であり、助成期間の後半に入って、いわば満を持して情報の自由法の立法過程を本格的に分析しつつある状況である。
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今後の研究の推進方策 |
本研究課題について、今後は大きく二つの分析を行いたいと考えている。第一は、ここまで検討を加えてきた1966年の情報の自由法の制定過程について、学術論文にまとめて発表することである。すでに連邦議会における動向は議事録を中心に検討済みである。それに対して、行政機関が情報公開を義務づけられ、それによって裁量が制限されることで大きな影響を受ける大統領がどのように立法に関与していったのかに関する分析が残されており、これを本格的に進め、議会側の動向と組み合わせてまとまった歴史叙述を生み出したいと考えている。当時のジョンソン大統領は、政治任用者を通じて指揮する行政機関の権力が制限されるのを嫌う一方で、情報公開制度の導入を支持する勢力、とくに国民の「知る権利」を強調する諸主体の圧力にさらされていた。この状況下で、なぜ大統領が最終的に立法を受け入れたのかが分析上の焦点となる。 第二に、本研究課題では、総仕上げとして1974年の情報の自由法改正に関して分析を行う。この改正で注目されるのは、行政機関に加えて大統領府の機関も情報公開の対象になったのに加えて、行政機関が情報公開を拒んだ場合にその妥当性について司法審査が行われるようになったことである。後者の条項によって、行政機関はそれまでに増して情報を公開すべきだという強い圧力に晒されることになった。ウォーターゲート事件で大統領の権威が失墜し、国民の知る権利がより強調されるという政治状況にもかかわらず、当時のフォード大統領は改正法案に拒否権を行使したものの、結局連邦議会によって乗り越えられ、立法が成立した。ここでは、この大統領の判断がいかなるものであり、また連邦議会がなぜ拒否権を乗り越えられるだけの一体性を発揮したのかを中心に分析を行って、論文にまとめようとしている。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究課題では、当初の計画に比して20世紀半ばまでの行政機関の政治的・憲法上の位置づけに関して多くの分析を行う必要が生じた。これは本研究課題の目標を達成する上で不可欠のものだったとはいえ、その分情報公開制度の成立過程に関する検討が後回しになり、その分の予算が未使用となった。助成期間の5年目に当たる平成31年度には、実際の立法過程の分析を本格的に進めることとしており、次年度使用額については、夏期の史料調査を中心に有効に活用することを予定している。
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