研究課題/領域番号 |
15K03297
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研究機関 | 創価大学 |
研究代表者 |
山田 竜作 創価大学, 国際教養学部, 教授 (30285580)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | カール・マンハイム / ムート / T. S. エリオット / J. H. オールダム / A. レーヴェ |
研究実績の概要 |
当該年度は当初、英国キール大学図書館に所蔵のマンハイム文書およびリンゼイ文書の資料収集を行う予定だったが、同図書館で水道管破裂による閉館という事態となり、断念することとなった。その代わりに、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの教育研究院のニューサム図書館、およびエディンバラ大学ニューカレッジ図書館に所蔵の、ムート文書の資料収集を実施した。ムートは第2次世界大戦前後に存在した英国キリスト教知識人の研究サークルであり、マンハイムはユダヤ人ながら中核的なメンバーであった。このムート文書の調査は、当初の研究計画にはなかったものだが、研究を進める中で資料の存在を確認し、キール大学より先に資料収集を行うこととなった。
マンハイムは1933年にナチスドイツを逃れて英国に亡命したが、すでにその早い段階から「計画」について考察を始めていた。しかし、「自由のための計画」という構想を打ち出したのは、このムートの第3回研究会においてであり、ムートはマンハイムの思考を練り上げるにあたって非常に重要な場であった。マンハイムの考える「計画」は、崩壊しつつある大衆社会の再建と再統合の構想であり、そこでは知識人が相互に交流して新しい時代に必要な学際的な知見を得ることが重視されると共に、全体主義と戦うための社会教育(精神の民主化)と宗教による社会統合が彼の計画論の不可欠の要素であった。マンハイムは死の直前までムートの熱心な参加者であり、その中で「自由のための計画」に必要な諸問題を提起していったが、ムートのメンバーをはじめ英国の知識人が彼の計画論を受容したわけでは必ずしもなかった。ワイマール共和国で自由民主主義体制の崩壊をその身で体験したマンハイムの危機感が、亡命先の英国の知識人に必ずしも共有されなかったことは、ロンドンとエディンバラで入手してきた資料の一部からもうかがい知ることができる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初の研究計画では、特にムートにおける同僚 T. S. エリオットと、ムート・メンバーではなかったがマンハイムの友人であった A. D. リンゼイとを、マンハイムの思想との関係で研究する予定であった。しかし、エリオットについてはある程度の研究が進んでいるものの、ムートに関する資料収集を優先させた結果、リンゼイについては彼の著作の一部を検討するにとどまっている。また、本研究のキーワードの1つである「精神の民主化」について、エリオットとの議論の検討は進んだものの、マンハイムの遺稿『文化社会学論集』(Essays on the Sociology of Culture)の第3部の解読は進んでいない。さらに、英国で収集してきたムート文書が膨大な量で、しかもそれらの少なくないものが神学に関係するものであり、研究当初に想定していた意味での「合理性」の問題について研究が遅れ気味である。
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今後の研究の推進方策 |
入手したムート文書および関連する資料のうち、特に「精神の民主化」と「合理性」に関わるものを掘り起こして解読する。また、キール大学に資料収集に行くことが困難となる可能性が高いので、マンハイムとリンゼイに関する研究は全体の中で比重を減らし、マンハイムが「精神の民主化」の実質的な中身として考えていた「民主的パーソナリティの形成」へと焦点を移すと共に、その可能性をめぐるエリオットとの論争を検討する。さらに、英国の知識人にとって「大衆社会」とは何であったのかの検討が必要となってきたので、エリオットをはじめとして主にムート・メンバーがマンハイムの大衆社会論をどのように受けとめたのかについても考察したい。
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次年度使用額が生じた理由 |
図書購入が例年より少なかったため、結果的に残金が生じた。今年度は特に欧文図書購入に充てる予定。
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