本研究でのキーワードの1つである「合理性」をめぐって、カール・マンハイムの「自由のための計画」論を全体主義的であると批判した代表格と言えるフリードリヒ・ハイエクとカール・ポパーによるマンハイム批判の妥当性を再検討した。この内容については、2019年4月16日、英国ノッティンガムで開催された英国政治学会 PSA にて口頭発表を行なった。
マンハイムは「計画」を慎重に「創設」や「管理」と区別していたが、ハイエクもポパーもそれを理解しなかった(あるいはそもそも理解するつもりがなかった)。ハイエクにとって計画は必然的に社会主義的独裁に陥るものであったが、これはマンハイムの言う「管理」への批判ではあっても、「計画」概念への批判にはなり得ない。またポパーは、マンハイムが言う「自由放任主義から計画の時代へ」という時代診断を、歴史発展法則主義と断定したが、マンハイム自身は「法則」ではなく「趨勢」を語ったのであり、ポパー自身が言及しているマンハイムの「媒介原理」の考え方をポパーは十分に理解しなかった。結果として、両者による批判は、「計画」論一般への批判にはなり得ても、マンハイム自身の「計画」の構想に対する批判としては必ずしも妥当でないというのが、現時点での結論である。
マンハイムの「計画」は何よりも、刻々と変化する現実をその変化に即して把握するための柔軟な「計画的思考(planned thinking)」を要請するものであった。そして、そうした思考法を体得した人間を育成しようとするマンハイムの教育論は、彼が言う「機能的合理的」ではなく「実質的合理的」な人間を育てようとしたものだったとも考えられる。
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