優生思想を評価するパースペクティブを現代にまで拡張することで,それぞれの時代の優生思想を相対化することが可能となる.例えば,ある時代,ある地域において,その当時の思想的位相としては,非優生主義と看做されていたとしても,超時代,超地域というパースペクティブで思想を評価すると幾分異なった解釈となる可能性がある.本研究で取り上げているケンブリッジ学派の中核の一人,A.C.ピグーがそれに該当することが明らかとなりつつある. 当時のピグーは,厚生経済学者の旗手として,社会改良,しかも社会の弱者,貧者の福祉を向上させることで,一国全体の厚生を増進させようと奮闘していた.その主眼は,教育や労働衛生といった環境改善に存していた.だが,当然ながら,当時台頭した優生思想はこれに真っ向から異を唱えるものであったし,事実,環境改善に重きを置く,厚生経済学には論難の矛先が真っ先に向けられた.これが当時のコンテキストであり,ピグーは優生思想と真正面から対峙することとなった. とはいえ,ピグーは,先天的な疾病遺伝については,これを断固として場合によっては社会的な力を行使してでも阻止しなくてはならないと力説していた.もちろん,その動機は,純粋に人々特に将来世代の幸福への真摯な配慮にあり,決してエリート主義的,帝国主義的な(当時の典型的な優生主義に内在した)イデオロギーの類ではなかった.そうした,遺伝疾患の予防は,当時としては,医学関係者の間では常識といって良い通念であり,ピグーもそれを奉じていただけであった. ところが,上述のように,拡張したパースペクティブからすれば,当時の,殊更優生思想には与しないと思われた,常識に対してですら,厳しい評価が与えられる.トロンブレイ(1988)によれば,「当時」の医療関係者の殆どは多かれ少なかれ「優生主義者」とされる.ピグーも決して例外ではないことになる.
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