1920年代前半の村ソヴェトはコムニストの強い統制下にあった。1924-25年の「ソヴェト活発化」の政策のもとで、農民は政治的な潜在力を活発化させた。それは、共同体を基盤とした分権化の方向性をもっていた。しかし、農村の行政的なポストを独占していた農村コムニストは混乱に陥った。スターリンは1926年3月にソヴェトへの選挙権を制限することを強く要求した。1927年選挙キャンペーン下では、富裕農だけではなく中農まで選挙権剥奪に巻き込まれた。市場志向的な農民は強く抑圧され、こうして農村コムニストの「反クラーク気分」が高まった。それは、1928年の穀物危機下での農民への攻撃のひとつの背景となった。
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