本研究の目的は,江戸時代の両替商から近代の金融機関への転換がいかなるものであったのかを明らかにすることであり,江戸時代の両替商の存在を巨視的に明らかにする必要があり,大阪の両替商一覧を集め,データベースを構築した。これらの両替商が明治期以降にどのような進路をたどって行けたのかを明らかにすれば,連続・不連続の問題は解明できることになるが,両替商は屋号で記されており,その連続性を直接明らかにすることはできない。そこで大阪で設立された銀行を取り上げ,その経営者を明らかにし,その人たちが両替商の出自を持っているのか,いないのかを明らかにした。その結果,1897年までに大阪で設立された銀行54のうち両替商に起源のある銀行は18を占めることが明らかとなった。3分の1が両替商の起源をもつという比率が高いのか,低いのかを評価するのは基準が必要である。同様な数値を東京についてみると,68行のうち9行となり,1割余りとなる。江戸時代に両替商が高度に発達していた大阪のほうが,比率が圧倒的に高かったことが確かめられたが,日本の銀行発展に果たした両替商の役割を過大評価できない,という結論になった。 また両替商起源を持つ三井銀行と住友銀行をケースにとってみると,戦間期には国際業務と証券業務で他を圧倒する活動をしていたことが判明した。この国際業務における地位を比較するため,両替商に起源をもたない三菱銀行との比較を行った。その結果は,三井銀行と三菱銀行が大口顧客を相手とする業務を行っていたのに対し,住友銀行は小口業務を中心としており,業務の性格が異なることが分かった。これは三井物産・三菱商事という商社が系列内に存在していた銀行と存在していなかった銀行の相違に起因していると考えられ,両替商を起源とするかどうかは,大きな意味をもたないのではないか,ということが示唆された。
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