ソビエト連邦は「不足の経済」として知られており、国民の消費生活は貧しく味気ないものであったと見做されがちであるが、実際には国民の所得水準の上昇に伴って需要の量的拡大と質的多様化が観察され、その意味では「大衆消費社会」が出現していたと考えられる。とはいえ、西側とは異質な特徴を有していたことも事実であり、チェルニショヴァが『ブレジネフ時代のソビエト消費文化』のなかで指摘したように単純に「西側のような大衆消費社会が出現した」と見るべきではない。 本研究の他の貢献としては、歴史学や社会学中心であった従来のソビエト・ファッション研究に、生産と流通という経済学的な側面からアプローチしたことが挙げられる。
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