アメリカが日本に対して対米自動車輸出の自主規制(1981年)を要求するに至るまでのプロセスについて、一次資料に基づき、分析を行った。まずカーター政権については、その対日自動車政策が日本からの自動車輸入の規制を否定する立場からその実現を目指す立場へと移行したこと、しかし法的な枠組みに拘泥したため、成功しなかったことを明らかにした。続くレーガン政権については、その内部で自由貿易主義を堅持する立場と輸入規制の実現を追求する立場が対立していたが、日本に輸出自主規制を要求することで両者の妥協が成立したことを示した。
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