研究課題/領域番号 |
15K03815
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研究機関 | 山口大学 |
研究代表者 |
右田 裕規 山口大学, 時間学研究所, 准教授 (60566397)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | ナショナリズム |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、近代君主制国家で王室儀礼を視覚的消費の対象として定位・商品化しようとする企業家たちの経済運動が、同時代の人びとのナショナル・アイデンティティ編成とどう関連しあっていたのかという問いについて、近代日本社会の事例から再検討・応答することである。とりわけ当該年度の研究活動では、大正・昭和初期の映画産業が、どのように君主制儀礼の商業スペクタクル化を進めていったのか、同時代の人びとがどのようにそれらのフィルムを解読・消費していたのか、また関係各省が天皇家の祝祭のフィルム公開にどうかかわりあっていたのか、という問いを中心にして、この課題に接近することが目指された。得られた主な知見は次の3点である。第1に、世紀転換期の日本の君主一族の儀式・行幸啓が映画業界の視線に捕捉され商品化されはじめた直接の経緯には、世界市場システムへの参入という要素がかかわりあっていたこと(天皇家のイヴェントのフィルムが、国民国家の枠組みを超出する〈世界商品〉としての質を原初的に含みこんでいたこと)。第2に、天皇家のイヴェントを映し出した映画の全国的流通と相伴して、大正・昭和初期の都市市民の間では、反復的・複製的な出来事として天皇家の祝祭を知覚する態度が拡がりつつあったこと。第3に、大正大礼以来、関係各省(宮内省、内務省、陸軍省、文部省など)もまた、天皇家の出来事についてのフィルム制作(もしくは制作にかかわる許認可権)を諸々の営利目的から利用しはじめていたこと(ネイション統合の媒体という以上に、商品性を重視し始めていたこと)、である。以上の3点を中心に、国民統合媒体として天皇家の祝祭フィルムを定位する従来的解釈枠組みから逸脱する事例の収集・考察を進めることで、天皇家の祝祭の商業スペクタクル化の伸展が君主制ナショナリズム編成に対して惹起した多元的な作用について検討することに努めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度の研究活動は、近代複製技術と産業資本主義の結合から生成する視覚経験の特性にかかわる諸知見を参照項としつつ、君主の祝祭の商業スペクタクル化がどのように君主制ナショナリズム編成とかかわりあっていたのかを、映画という個別的な複製媒体の事例から再検討した試みとして位置づけられる。いいかえるならば、被写体(事物や景観、出来事など)の「礼拝価値」や「一回性」を簒奪する最も代表的なこの媒体を事例にとることで、天皇家の祝祭の商業スペクタクル化が民族的アイデンティティ形成にとって反作用的な契機を含みこんだ可能性を端的に呈示し、既存のナショナリズム論図式を反駁することが本年度の研究活動では目指された。上記3点に加え、祝祭フィルム制作・上映で見られた様々な逸脱的場面(隠し撮り。弁士による「不敬」な説明。商品回転の論理に従ったフィルムの早回しに伴う「滑稽さ」の生成。観客による「脱帽」指示の無視。娯楽的映画と祝祭フィルムの混淆的上映。観客におけるオリジナル・複製の区別の失効、等々)を網羅的に蒐集した上で、それらの諸場面が巨視的には産業資本主義を媒介した視覚的・複製的祝祭経験の拡がりの帰結として理解できることをあかるみにしたのも、そうした成果の一部である。20世紀初期の経済主体による天皇家の祝祭のスペクタクル化の相貌を綜合的に詳らかにした上で、視覚的・複製的な祝祭経験の拡がりと君主制ナショナリズム形成がどう関連しあっていたのかを多角的に検証する、という本研究課題に即した場合、やや対象を限定しすぎたきらいはあるものの、本研究の分析枠組みにとって必須となる考察対象(映画媒体)をとりあげ一定の知見を提起できた点で、研究は概ね順調に伸展しているものと考える。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究の推進方策としては次の2点があげられる。第1には、君主のスペクタクルの観客たちに見られた〈複製選好〉の拡がりについての資料調査と考察。大正・昭和初期の祝祭の見物者・ツーリストたちが鹵簿や儀礼場の「本物」ではなくそれらの「模像」を選好していた(もしくはオリジナルと模像の区別自体が失効していた)可能性については、これまでの研究活動でもあるていど資料の蓄積と考察を進めてきた。最終年度にあたっては、本研究課題の中核となるこの問題に関連した資料蒐集をさらに進めた上で、この事態の拡がりが君主制ナショナリズム形成にとってどのように作用したのかについて、とりわけベンヤミンの記憶論とアンダーソンの「想像の共同体」論を参照点としつつ、検証を行う。第2に、天皇家の祝祭のスペクタクル化の伸展が、むしろ地域単位での連帯・反発の喚起(ネーションの分断)へと帰結した可能性についての調査・分析。このテーマについては、初年度に続き本年度も継続的に資料蒐集を進めてきたが、とりわけ最終年度では、「中央」の祝祭並びに地方行幸にたいする「地方人」の態度について集中的な資料調査を実施し、かれらにとって天皇家の祝祭を「見る」ことがどのような意味作用を含んでいたのかについて、より精緻化された知見を呈示することを目指す。以上2点についての調査・考察活動から一定の成果・知見を得た段階で、これまでの研究活動での成果と理論的枠組みを再度整理し、近代君主制儀礼の商業的スペクタクル化がどのような社会的力学から進められ、また同時代人たちのナショナル・アイデンティティ形成とどのようにかかわりあったのかについての綜合的な結論を導出する。
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次年度使用額が生じた理由 |
当該年度の研究活動では、主に映画産業がどのように君主の祝祭のスペクタクル化つまり実写フィルム化を進めていたか、また観客である同時代の人びとが、それらの実写フィルムをどのように鑑賞・観覧していたか、という問いについての資料調査を重点的に実施した。この問いに関しては、内外の先行研究文献を代表に、本務校で一定の資料蒐集ができたことから、資料購入のための費用並びに学外機関での文献複写依頼費が当初の予想を下回ることになった。そのため「物品費」「その他」の費目を中心に若干の繰り越し分が生じている。
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次年度使用額の使用計画 |
本研究課題の達成のためには、充分な資料調査と蒐集を行うことが最も重要な要件となる。とりわけ1)同時代人による複製的祝祭経験の選好、2)地域世界でのスペクタクル経験の相貌、という次年度の中核的課題の調査を円滑に進める上では、国立国会図書館をはじめ、戦前のヴィジュアル雑誌や映画雑誌、各地方紙などを多数所蔵する学外の文書館・図書館での定期的な資料調査活動を行うことが必須の作業となる。そのため次年度の助成金使用にあたっては、繰り越し分を合わせ、資料調査のための旅費に多くを充当する。
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