本研究は、近代日独社会科学者間の知的交流の諸側面を扱う。日本人たちは、自国の社会・経済を理解するため、ドイツの社会理論を学んでいた。日本分析には、英仏の社会理論よりもドイツのそれのほうが適していると考えたからである。上西半三郎は、テンニースの許で学び、第一次世界大戦中は、日本の新聞の通信員として活動し、第二次世界大戦後は社会学を講じた。阪谷芳郎によるラートゲンの講義ノートは、このドイツ人の近代社会にたいする問題関心の所在を伝えてくれる。ヴェーバーの理論と方法は、ドイツの大学問題にかんする討論によって成熟し、日本人たちは彼の著作を学んだが、彼らによる彼の理論の理解には重大な改変が認められる。
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