当該年度は2016年度に実施した聞き取り調査に基づき、日本における高度ホワイトカラー有料民営職業紹介事業の草分け的な人材紹介企業、ならびに、同企業の創業者のキャリアに即して、1960~70年代における同事業の誕生や形成、背景要因について論文を執筆した。 「労働市場の創造──1960~70年代における高度ホワイトカラー有料民営職業紹介事業の誕生」(『横浜経営研究』第42巻第3・4号、2022年3月刊行)において、上記について論じたが、結論はつぎのとおりである。 1964年に経営管理者や科学技術者の有料民営職業紹介事業が可能となった時期と重複して、資本の自由化が進められていた。資本の自由化により,外資系企業が日本に進出する際、有能かつ英語が堪能な人材を獲得するためのルートが求められていた。こうしたなか、経営管理者や科学技術者といった,高度ホワイトカラー紹介のニーズが外資系企業からあることが把握され、対象企業は有料民営職業紹介事業を1967年に開始した。 もっとも、初期の高度ホワイトカラー有料民営職業紹介事業の顧客(求人)企業が、外資系に限定されたということではない。ただし、求人企業と求職者の双方から見て、また事業者数から見ても、高度ホワイトカラー有料民営職業紹介事業の市場は、1990年代後半に規制緩和されるまで,かなり小さかったといえる. 本論文で見てきた草分け企業の創業者のキャリアが、当時の高度ホワイトカラー有料民営職業紹介事業の経営トップがたどってきたキャリアを代表するとはいえない。とはいえ、キャリアを通じて海外志向が強く、英語に堪能な人々に対して、資本の自由化が、海外との接点となるような事業の機会を与えたと考えるのは自然であると考えられる。
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