昨年度からの問題関心を引継ぎ、日本企業における労務管理上の関心の変容を背景として生じている、産業精神保健に関わる動向について、とくに近年顕在化している言説的な状況を検討した。その成果は、「脆弱性を前提とした「主体」をめぐる言説分析 : 再就労するうつ病経験者の語りから」(『静岡大学 人文論集』69(2))として発表した。 政策的にはストレスチェック制度を職場環境改善に用いることが推奨されるように、医療モデルよりはマネジメント・モデルともいえる動きも見られる。しかし、そうした政策動向はかえって経営側に受け入れやすいマネジメントの言説、つまり職場からストレスを減らすよりも労働者のストレス耐性を高める言説を強化した側面もある。たとえばそれは「レジリエンス・トレーニング」といった言葉に象徴されよう。 また本年度も含め、産業精神保健に関わる諸学会のシンポジウムを傍聴・観察してきたが、キャリアコンサルタントの国家資格化に関する議論、あるいはキャリア・デザインから「ライフ・デザイン」へといった議論は、社会学で論じられる「個人化」の趨勢を背景として論じられることもあるように、組織まかせのキャリア形成ではなく労働者のいわば自律的人生設計を強調するものである。こうした動向は総じて、高いストレス耐性を備えた「強い主体」を求めるものといえる。 しかし、その一方で、むしろ自らの低いストレス耐性を前提にしつつ、持続的な就労を図る方途やそうした自己に関わる物語が近年注目を集めている。論文ではとくに4名のうつ病による離職経験者のテクストを分析したが、現行の産業労働社会やそれを支える言説(高ストレス耐性を価値とする)への距離の取り方によって、「心的なるものの科学」を援用した再主体化論ともいえるものから、そうしたものからの離脱的な指向性を伺わせるものまで、バリエーションの存在することも確認された。
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