震災の記憶は継承されるべきものである。なぜなら、それによって予想される将来の被災に備えることが可能となる。また、道半ばで倒れた犠牲者たちを忘れずにいることで、残された者たちは突然の喪失に発する苦しみ・悲しみに対処することができるからである。 しかしながら人は忘却する。東日本大震災被災地であってすら、震災記憶の風化を危惧する声が諸方から聞こえてくるという事実は否定できない。 では震災の記憶を保存し続けるためには、どうすればよいのだろう。その答えを求めて各地の被災地を訪ね、そこにおける記憶の継承の現状を調査したのが本研究であった。調査地は東日本大震災被災地をはじめ、近代以降に地震に襲われ千人を超える犠牲者を出した国内各地である。また台風被災地と人災の現場も調査しており、それは地震被災地との比較を行うためである。さらに海外との比較も志し、中国(四川)・インドネシア(アチェ)・タイ(プーケット及びカオラック)・ニュージーランド(クライストチャーチ)でもデータ収集に努めた。 国内調査によって見出されたのは、記憶継承に果たす宗教の役割の大きさであった。(宗教的である)慰霊行事の執行が人々に、かつての惨事の記憶を周期的に甦らせているのである。一方、中国・インドネシア・タイでは記憶継承にあたっての宗教の役割はほぼ確認できなかった。ニュージーランドでは「追悼の壁」が築かれ、壁の前での死者との交流が展開されて、そこに宗教性を看取することはできるものの、被災地全域で犠牲者の慰霊を行うほどの動きは見られない。ここから、日本においては犠牲者を慰霊することが至極当然のことと認識されており、よって慰霊による記憶継承は日本的な現象であると推察できる。 日本人の多くは自覚的信仰者ではない。しかし人々の基層には宗教性が存在し、それが惨事の記憶継承にプラスに作用することを、本研究は明らかにしたのであった。
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