本研究の目的は、保育事業が果たした貧困予防に関する過去のエビデンスを収集、分析し、「子どもの貧困」対策の1つとして再考するための歴史的な事実や知見を見出すことであった。得られた主要な知見は次の5点である。 すなわち、①『戦役紀念保育会第一回報告書』(1908年)において、保育所設立の必要が5つの必要(児童教育、軍人遺家族援護、家庭改良、生産力増殖、貧民防遏)から主張されており、議論の包括性と内務省政策に対する先導性が見出された。②神戸市における出征軍人児童保管所(1904年)が内務省のリーディング・ケースであった点に注目し、創設と背景を検討した。児童保管所が現金扶助の抑制・低減を目的とし、その原動力は地域婦人が「女性の本分としての遺家族の救護」に「応分の力」を発揮できる場と機会を得たことにあった。③昼間保育事業の先駆者・生江孝之の神戸市職員時代に焦点をあて、再評価を試みた。生江が当初、保育事業のためではなく、救済事業の企画・立案者として採用されたこと、彼の保育事業構想は留岡幸助によって鼓舞され、非行予防が保育事業の主要目的であった。④『救済事業調査要項』(1911年)を史料として、児童保護事業に占める保育事業の位置づけ、内務省嘱託・生江孝之の影響を分析した。保育事業は「育児事業の病的膨張」の是正策として有望視され、経費節減と貧児の家庭養育を実現する「一挙両得の策」に位置づけられ、生江によって神戸市の保育事業経験や欧米の知見が国家レベルの社会政策構想に反映されていった。⑤大阪市における財団法人弘済会の『弘済会報』を分析した結果、保育所は家庭会を通して、よろず相談に応じ、家庭の躾や教育の指導・啓発を図り、悪習慣の改善―買い食いの禁止や貯金奨励、児童の面前での夫婦喧嘩を控えるなど―を促し、家庭の「不足」を補い、親子の〈境遇〉改善をめざす「精神的指導」を展開した。
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