研究課題/領域番号 |
15K04204
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
井上 高聡 北海道大学, 大学文書館, 准教授 (90312420)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 開拓使 |
研究実績の概要 |
開拓使は1874年12月、教育行政担当部署として札幌本庁に学務局を、函館支庁等に民事課学務係を設置することを達した。これ以降、北海道における初等教育の整備・普及策が本格的に始動することとなった。 それ以前、開拓使札幌本庁では、士族等の集団入植・定着が進む1872年ころから地域の学校開設に関与し始めた。本州以南からの移住者の定住による農業開墾が第一の課題であった札幌本庁が早期に学校整備に着手した意図は、移住民の入植・定着、入植地とそれを支える地域の形成を支援するためであった。学務局もそれを前提に、入植村落に開設可能な水準の学校の普及を図っていった。 一方、開拓使函館支庁の管内では明治維新以前から和人の定住が進んでいた。行政都市函館、商業港江差、松前藩城下町福山(松前)をはじめとする市街形成が進んだ地域や、漁場や和人居住地として地域基盤が一定程度成立した郡部村落が存在した。しかし、1872年の「学制」頒布後も函館支庁が取り組んだのは、外国語を教授する官立学校の改編であり、市街形成が進んでいた函館・江差・福山に「学制」に準拠した学区制を導入して小・中学を開設する計画であった。 札幌本庁は学務局が行政組織として機能し始めた1876年の時点で既に多数の小学科を開設する学校を管掌していた。一方で函館支庁が管掌する学校数が増加するのは1878年からであり、この前後から本格的に学校開設に取り組み始めた。函館支庁が当初、市街部の学校整備の検討に終始し郡部村落への学校整備着手が遅れたのは、既に和人が定着し村落形成が進んでいた函館支庁管内では札幌本庁管内のように入植移住者対策として学校整備を急ぐ必要がなかったためであった。また、当初から「学制」準拠や学区制導入を志向したため、学校整備に当たり一定程度の規模と教育内容を求めた。この点は札幌本庁の学校普及策との大きな相違点である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
資料調査、学会における研究発表を予定通り行なった。 学会での研究発表の際の議論や、そのときの議論に基づく追加的な資料調査により、研究発表の内容を補充することが可能となった。当初の計画では、研究発表の内容を論文化して学会誌等に投稿する予定であったが、研究発表の成果を的確に反映した内容とするため、現在、引き続き論文作成の作業を進めている段階である。論文投稿は2017年度に行なう予定である。 以上の理由から、本研究課題の進捗状況は概ね順調に進展していると評価する。
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今後の研究の推進方策 |
2017年度には「函館・札幌・根室三県による学校設置・維持策」を研究課題とする。1882年、政府は開拓使を廃止し、北海道を三分割して、本州以南同様の函館県・札幌県・根室県を設置した。三県は教育政策・学校教育制度においては開拓使の施策を踏襲したが、大幅な財政削減がなされたため、官による学校への補助も薄くなった。函館県・札幌県は、内陸部・農村部の学校には国有未開地を、海岸部・漁村部には海産干場を下付し、学校維持と地域産業の振興を兼ねて、授業の一環として生徒を農業・漁業に従事させた。政府は三県を4年間で廃止し、北海道全体を統治する北海道庁を設置したが、財政緊縮は維持した。北海道庁は開拓使・三県時代の教育政策・学校教育制度を踏まえ、全道統一的な簡易教育制度を指向していった。三県時代以降、官は重い財政支出を伴わない学校設置・普及・維持策を模索し、それに地域が対応していく実態を実証的に検討する。 研究実施の手順として、まず、北海道立文書館所蔵「三県文書」、北海道道立図書館所蔵資料、石狩・空知・後志・胆振・日高・渡島・桧山等の地方の図書館・郷土資料館所蔵資料、国立公文書館「太政官公文録」などの資料調査を行なう。資料調査に基づき、教育史学会(10月に岡山大学において開催)で研究発表を行なう。研究発表の内容及び成果を踏まえ、2017年度後半から翌年度にかけて論文を作成し、学会誌・紀要等に投稿する。
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