開拓使統治期の北海道の学校設置状況は地域の特性によって大きく異なった。例えば、士族の集団移住が早くから進んだ札幌本庁管内では、1872年ころから入植移住地の地域整備の一環として簡易な学校の設置を開拓使が補助した。一方、函館支庁管内には明治維新以前から和人の定住が進んでおり、特に函館・江差・松前等の市街形成が進んだ地域には、1872年「学制」頒布時から本州以南同様の学区制導入を計画したが、結局、頓挫・挫折した。近世から漁場・和人居住地などで地域形成が一定程度進んでいた道南地方では、札幌周辺の様に入植移住者対策として学校整備を急ぐ必要はなかったため、却って取り組みが遅れる結果となった。
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