研究課題/領域番号 |
15K04205
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
近藤 健一郎 北海道大学, 教育学研究科(研究院), 准教授 (80291582)
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研究分担者 |
三島 わかな 沖縄県立芸術大学, 付置研究所, 研究員 (60622579)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 近代沖縄 / ことば / 宮良長包 / 月刊文化沖縄 / 教育史 / 音楽史 |
研究実績の概要 |
本年度は、①研究期間全体を展望するための史料調査とそれに関する執筆、②1910年代半ばの標準語励行とその実態に関する調査と執筆を中心に実施した。 ことばの教育ならびに宮良長包の活動・動静に関する史料調査については、沖縄で発行されていた新聞雑誌を中心に進めることができた。具体的には、基本史料である沖縄県教育会機関誌『沖縄教育』のほか、『先島朝日新聞』や新聞原紙が残っていない時期が多いなかで貴重な故人によるスクラップなどの新聞記事、『月刊琉球』『月刊文化沖縄』などの雑誌記事調査を進めた。ただし、本研究において活用する予定の『月刊楽譜』などの調査については不十分なため、2016年度に持ち越すこととなった。 これら調査のうち、『月刊文化沖縄』については、『沖縄教育』と関連づけて解説論考を発表した。『月刊文化沖縄』は、1940年8月~1944年1月に通算で38号刊行された、当時の沖縄にあって唯一の月刊の「総合文化雑誌」を自負して刊行していたものである。それらを通観し整理したことにより、第一に『月刊文化沖縄』と『沖縄教育』は重なる執筆者が50名以上と多く、その大部分が教員であったこと、第二に『月刊文化沖縄』は県が進める教育・文化政策を問題視しようとする編集姿勢をもっている面もあり、そのことと比較すれば、この時期の『沖縄教育』は県の施策の一翼を積極的に担おうとしており、そのことはその顕著な傾向であるといえる。 1910年代半ばの標準語励行とその実態については、沖縄県教育会による「普通語励行方法答申書」(『沖縄教育』第103号、1915年9月)を中心史料として、沖縄でのどのような教育・生活状況を反映して、教育会がどのような答申を出したのか、答申後の展開について調査および執筆を行なった。しかし脱稿には至らなかったため、2016年度に投稿、発表する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究で活用を予定している『月刊楽譜』の史料調査が不十分な状態であること。 1910年代半ばの標準語励行とその実態を明らかにする論考が未完であること。
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今後の研究の推進方策 |
2015年度に進める予定であった『月刊楽譜』の調査については、2016年度前半で一定の見通しを立てられるように実施する。また前述した未完の論考については、2016年度前半に投稿の予定である。 その他は、当初の予定、順序に従って進めていく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
東京等での史料調査を十分に行なえなかったことによる。
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次年度使用額の使用計画 |
2016年度前半に東京等での調査を実施することを計画している。
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