30年度は、本助成最終年として、研究のひとまずのまとめとして、共著書の論文を2本として発表することができた。「家族による子どもの健康管理のはじまり――イギリス初の貧困児向け無料診療所(一七六九~一七八二)」小山静子・小玉亮子編『子どもと教育――近代家族というアリーナ』(日本経済評論社、2018年、第二章)および「「救済されるべき子ども」の発見――一六世紀英国における貧民救済の再編と孤児院」土屋敦・野々村淑子編著『孤児と救済のエポック――十六~二〇世紀にみる子ども・家族規範の多層性』(勁草書房、2019年、第一章)である。 一点目は、以前の『教育基礎学研究』掲載論文をもとに、さらに当時の医療救貧事業の展開のなかでの位置付け、家族規範について考察した。子どもの健康、栄養といった問題が医者のなかでも看過されていたなかで、新領域としての小児科学が成立せしめられていく。その医者のアドバイスを受け、子どもの健康管理に勤しむことが期待された母親役割について確認した。子どもの身体、生命、生活習慣などへの配慮は、一方では子どもの保護、救済それ自体の重要性として語られながらも、同時に、人口政策、国家としての人口増強策として、また伝染病予防策(すなわち公衆衛生の先駆け)として注目すべき事業であると寄付者、援助者に呼びかけられる。ポリスとしての医療救貧、なかでも子ども医療の政治史研究の一歩としての成果であった。 二点目は、本研究が中心とする時代以前における、貧困児救済の場面で家族はどのように表象されていたか、何を期待され、何が批判されてきたのかを訴求することを目的とした研究の一環である。封建制、マナー制が徐々に否定され、貧困者、寄る辺ない人々の救済がマナー(領主)制、修道院などの中世的秩序体系から放逐されていくなかで、新たな救貧政策が進められていく。それを支えたロンドンの政治的文脈を解明した。
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