本研究は、発育論争(1934)の主要な論者である山下徳治(独スポーツ教育学)と波多野完治(仏心理学)を取り上げ、両者の発達思想の固有性を戦前―戦後の連続性の中で追うことを目的とした。山下徳治が戦後社会の身体論と文化論を踏まえ、子ども・青年の発達研究を「人間の自己形成-造形の発生論的研究」として成立させていった過程を明らかにした。後者の日本のフランス心理学受容については、フランスおける心理学史の最前線を追い、波多野によって受容されたH.ワロンの発達理論の病理学的身体論の再検討の動向について明らかにした。また、研究のまとめとして、比較社会史研究の観点からの発達概念の視点について整理・分析した。
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