西ヨーロッパにおいてギリシャ語が再び教えられるようになったのは、1397年、フィレンツェ大学でのことであった。この時に招聘されたのがビザンティンの碩学クリソロラス、彼を招聘したのがフィレンツェの書記官長サルターティであった。本研究は、両者に焦点を当てて、この歴史的な出来事の背景を探った。結果として、ビザンティンとの交流は以前からヴェネティアを中心としてあったにも関わらず、ギリシャ語教育がヴェネティアではなくフィレンツェで最初に導入された背景に人文主義的情熱があることが明らかになった。また、クリソロラスの著作『エロテーマタ』が教科書ではなく、ギリシャ人教師の手引き書であると言う知見も得られた。
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