研究課題/領域番号 |
15K04248
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研究機関 | 東海大学 |
研究代表者 |
池田 裕子 東海大学, 札幌教養教育センター, 准教授 (90448837)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 樺太庁拓殖学校 / 横尾惣三郎 / 樺太庁中学校 / 中川小十郎 / 平岡定太郎 |
研究実績の概要 |
2016年度は2本の論文を発表することができた。 1本目は、「樺太庁拓殖学校の再編」で、これは9月刊行の教育史学会研究紀要『日本の教育史学』第59集に掲載された。樺太における農業教育の実相を明らかにした成果であり、今後、樺太実業教育史研究の中核となる位置づけの論文となった。当地における農業教育の方向性と制度のみならず、学校じたいの再編過程に注目することにより、同校の抱えていた矛盾点を行政の実態とともに浮かび上がらせ、それが樺太における人材養成の特質であったことを明らかにした。 2本目は、「樺太最初の中学校創設―中川小十郎の役割に着目して―」である。これは9月刊行の立命館大学社会システム研究所『社会システム研究』第33号に掲載された。領有初期、産業が未発達な状態で人口も少ない樺太において中学校を設立した意図と、その後の卒業生の状況を一定度明らかにした。この後、樺太の中等教育政策は、中学校と高等女学校の整備を中心として推移していくことになる。樺太中等教育史の重要な問題点を提示した成果である。 この2本の論文は、これからの樺太中等教育史研究の中心的な成果として位置付けられる。 このほかに、教示を受けたアイヌ教育関係の資料調査を行った。とりわけ成城大学に保存されている『樺太アイヌ調査報告書』は興味深い。これは2本目の論文の対象時期と同じ、平岡長官時代の樺太庁職員の出張復命書である。アイヌ民族の生活実態、教育の具体的なありさまが活写されている。これまで樺太アイヌ教育については、そうした具体的な資料が乏しく、本格的な研究対象とはなっていなかったが、この分野の実態を解明するうえで重要な資料である。この資料については、改題が1本、ほかにも1本刊行予定と聞いているが、いずれも教育史の検討ではない。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
この研究計画に着手した当初は、樺太教育の通史を執筆するイメージを持っていた。しかし、いざ着手してみると、それぞれのテーマが深化してゆき、到底1本の通史では収まらない問題の出現をみる結果となった。とりわけ、学校種ごとのテーマの深化は、それぞれ現代にも通じる重要な問題を含んでおり、それはひとくくりにできるものではない。 初等教育、中等教育、実業教育、教員養成、女子教育、先住民教育、そして社会教育の学校教育への影響という、日本教育史にとっての縮図のような樺太教育の特質を改めて確認する結果となった。2016年度は2本の論文を発表できたわけであるが、これらはいずれも中等教育段階の成果である。このうち、中学校を軸に、今年度の女子教育が加わり、教員養成の検討が入ることによって一定のまとまりをもっていくことになると現時点では考えている。
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今後の研究の推進方策 |
2017年度は、これまで主要な対象にはしてこなかった樺太の女子教育についての調査研究を行う。校友会誌の調査、新聞雑誌、統計資料の調査に加えて豊原高等女学校の卒業生への聞き取り調査を行う。この聞き取り調査が首尾よく進めば、樺太教育のリアルな実態を多少なりとも明らかにできるのではないかと考えている。 それと並行して、豊原中学校の教育についても調査を進めていく。とりわけ、樺太教育界に大きな影響力を行使した上田光(日偏に義)校長の恩師であった、「日本博物館教育の父」とも称される棚橋源太郎の思想的影響などについても調査してみたい。このテーマについては既に成果が発表されているが、ここに補足を加え、樺太の博物館と学校教育との関係を掘り下げることができるのではないかと期待している。さらに、教員養成は、中学校と高等女学校に附設された教員講習所と補習科を除いては語り得ず、人事を含めたこれらの関係性を明らかにしていくことが課題である。
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次年度使用額が生じた理由 |
東京への資料調査を予定していたが、業務多忙により取りやめたため。
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次年度使用額の使用計画 |
聞き取り調査の目途がついたため、東京出張を数回行う。ほかに、文献資料を収集する。
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