日欧米の史料調査により帝国大学農科大学成立史を再検討し、以下の3点を明らかにした。(1)1890年6月の帝国大学農科大学設置は山県有朋総理主導の下実施されたもので、根底には薩長の派閥対立という政治的要因があった。(2)設置により帝国大学及び6分科大学が構造的に文部省管轄下に統合されると共に、帝国大学令で規定した「国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其薀奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス」という文部省の論理を貫徹した学問的意味は大きい。(3)1885年以来の農商務省官立学校の大学化計画では農学教育の理念を作成し、学理と応用を調和し日本の風土に適した農事改良を目指し日本型高等農学教育の条件整備を行った。
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