本年度は、戦時下における国民学校児童に対する寄生虫病予防対策に関する資料を中心に収集した。特に、寄生虫病対策に関する公文書関係、学校での実践に関する資料を対象に調査した。1、厚生省が主導した寄生虫病対策で効果を上げることを期待されたのは国民学校である。厚生省は文部省の協力を得て国民学校児童に対する対策を推進した。資料調査によって、具体的な時期と指示内容について公文書等により明らかにした点が本年度の成果である。すなわち、1943年4月の通牒「寄生虫病予防撲滅ニ関スル件」(厚生省衛生局長・厚生省人口局長・厚生省保険局長、地方長官宛)と、同月の通牒「国民学校児童ノ寄生虫病予防ニ関スル件」(文部省体育局長、各地方長官宛)に基づいて、厚生省は、衛生主務課長事務打合会で、予防対策を健兵健民政策として位置づけ、対策に「一段ノ力ヲ効サレタシ」と通牒の具体化を指示し、国民学校児童に対しても徹底するよう指示した点である。農村における寄生虫病の蔓延は、「国民体力に及ぼす影響多大なる」ことから、厚生省は、予防撲滅対策を「強兵健民施策上喫緊の要務」と位置づけ、健民修練所、健民特別指導地区、国民学校児童に対し対策の具体化を図った。1944年、厚生省衛生局は、「結核対策の強化拡充」をはかるため、抵抗力を増強するには「寄生虫病及齲歯」の予防撲滅が必要と位置づけた。寄生虫病対策は結核予防対策と強く結びつく。2、学校における寄生虫病の検査規定が初めて明文化されたのは、1944年の学校身体検査規程である。以前から各学校で対策はとられていた。対策の担い手は、学校医、養護訓導、教員であった。とりわけ養護訓導が主要な役割を担った。教員も投薬等に重要な役割を果たした。各学校の取り組みは、学校衛生関連雑誌によって知ることができる。上記の通牒が各道府県に具体化された経緯については、各道府県公文書資料の今後の調査が必要である。
|