大正7年(1918年)の「第三期国定読本」の刊行を契機として、国語科の文学教材の目的は修身的「教訓・訓戒の修得」から、「情操の涵養」へと転換していった。その過程には、東京高等師範学校と同附属小学校が強い影響力を与えていたが、一方、教育行政側は、修身的「教訓・訓戒の修得」を強く求めるという、乖離した状況が拡大して行った。このような状況下において、教育実践の場では、子どもの多様な「読み」を認める立場が確立していったが、大正末に至り、それは、「作者」に収斂する一元的な「読み」に変容し、子どもの自由な「想像」を外部から抑圧するようになっていった。本課題研究ではその過程を実証的に明らかにした。
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