明治から昭和30年までの結核療養所の確立期において日本に現存していた結核療養所(16床以上)を対象に、①現存している希少な建築資料を収集し、②当時の結核療養所の建築特性を病院建築史と比較しながら分析した結果、以下のことが、明らかとなった。
①把握できた療養所数は812施設であり、人口密度と療養所数には関係があること、それには結核予防法などの国策が強い影響を及ぼしていたことがわかった。 ②療養所の現在の姿としては病院となっているものが半数以上を占めるものの、同母体が運営しているものはその内の6割であり、移管や買収などで病院の経営者が変化している様子を捉えることが出来た。結核が国民病でなくなり、治癒が可能となったことや50年程度の周期で国公立病院の閉院が存在することから、病院の機能の見直しや転換されていることが確認された。 ③結核療養所の建築様式は100床以上の木造のパビリオン型が一般的であった。一人当たりの病室面積は一般病院のそれよりも幾分大きく、また日光浴室などの設備が付帯されているものがみられた。結核療養所特有の設備であり、一般病院には見られない病室構成であった。その一方で、一般病院のパビリオン型は管理棟から病棟の独立や診療分科などの合理化が進んでいくが、結核療養所はパビリオン型であっても、看護単位が確立されるにとどまり、看護単位も一般病院のそれよりも大きいままであった。単科病院としての性格や結核という病気の固有性による影響、戦争などの時代背景より、総合病院のような管理部分や手術・研究室らとの明確な分離や独立した玄関の設置などが行われなかったものと考えられる。結核療養所建築の心得や木造総合病院のモデルプランの出現以後は、30床程度の看護単位が結核療養所においても散見されており、それらの提示は一定の効果があったことが推察される。
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