研究課題/領域番号 |
15K06411
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研究機関 | 愛知産業大学 |
研究代表者 |
石川 清 愛知産業大学, 造形学部, 教授 (40193271)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 中世 / 塔状住居 / フィレンツェ / 住宅建築 / パラッツォ / 都市形成 |
研究実績の概要 |
13世紀には都市フィレンツェは、都市の発展を背景に大規模な公共建築の建設とともに都市構造の再編を行った。古代ローマ時代の都市構造を保持しつつも新たな社会的要請に応える公共建築とそれに付属する広場を創出し、都市に複数の中小の核を配置した。それによって単一中心であったローマ都市部と拡張部との境界あたりにそれらの核が双方を転結する目的で設けられることによって、障害となる既存建物を取り壊し再編しながら、新たな都市の全体像の再構成へと結びつけた。既存の都市組織と結びつきながらも新たな統一感ある都市景観の創出が実現したことは、来るべくルネサンス期の文化都市の実現に非常に重要な鍵となった。 したがって研究対象である塔状住居は決して孤立した事象ではなく、封建主義、周辺貴族、商人階級の台頭、貴族と市民(Popolo)との抗争、派閥争い、親皇帝派と親教皇派の抗争、建築デザインと都市計画、プリモ・ポーポロ、独裁政治の最終的な勝利などの中世フィレンツェのあらゆる事象・状況と相互に関連している。このような塔状住居群は、都市内抗争を通しての周辺領主(magnate)たちの衰退、商人階級の台頭、つまり都市国家の支配体制の確立とともに衰微していくわけであるが、のちの中世後期・ルネサンス期に確立するパラッツォ(palazzo)という居住形式に少なからず影響を与えている。都市邸館を意味するパラッツォは、外観において私的な<家>の権威を象徴するとともに、その内部においては集住を可能にする個人居住区画(appartamento)が芽生えはじめており、塔状住居はそれらの礎を築いた点において極めて重要であり、住居史全体の発展過程を把握する上で非常に重要である。既往研究成果を熟知し、実地調査により新たな知見を得たい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
平成27年度計画は、20世紀末の塔状住居を建設した門閥を研究する数少ない歴史家Carol Lansing、Marvin Becker、Jacque Heerの論文の読解から多くの知見を得た。塔状住居を建設した門閥が必ずしも周辺貴族(magnates)だけではなく多様性を秘めており、19世紀の社会主義者Salveminiが提起した社会モデルとは合致するものではなく、利害の一致(solidarity)、防御(protection)、同胞(brotherhood)、家族の絆(familial bond)、近隣への忠誠心(neighborhood allegiance)などといった多様な自己認識のもとに結束していたという見解が打ち出された。塔状住居群は中世社会に混乱をもたらしたが、初期の都市コムーネ形成には正統に機能し、塔はポポラーニによって強制的に取り壊されたのではなく、社会変革の中で重要な役割を終えて衰退し、本来の伝統的機能を失いながらも存在し続けたことが確認できた。しかし、上記の研究者たちの歴史構築は建築史的知識に基づいていないため、その住まい方や建築特性の考慮に懸けているので当然である。それらの歴史観の補正を実施するために、平成27年度は組織化の全体性を把握し、建築史研究の方向付けを決定し、塔状住居の取り壊し・衰退に関する建築史的考察(実地調査・原史料調査含む)を行う予定であったが、既往研究における問題点は整理できたものの、実地調査・原史料調査含む建築史的考察には至らなかった。
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今後の研究の推進方策 |
今後、1)13世紀末の史料の記録された塔状住居(フィレンツェ国立古文書館における原史料調査)、2)塔状住居に見る建築部位・部材の考察(実地調査)、をフィレンツェ市街にある塔状住居を中心に行う。当初防御が最も重要であったはずの塔状住居の地上階(1階)に入口を設け、時には1階を店舗にレンタルしていたとする。また塔は常時生活するには室内空間が狭く、塔のレンタル契約の事例が居住使用を意図しものでなく、塔の鍵の所持に関する記述が常時生活していない可能性が高い。人口過密の状態にあった13世紀フィレンツェでは塔が一時的な住居としての役割を果たしたのではないかと考える。 同時代記録Villaniの年代記にも塔状住居の使用様態についての記述があるし、Dino Compagniは、政治執行部である6人のプリオーリ、6人の執事、6人の警備官たちが2ヶ月の間バディーア修道院のla Castagnaと称する狭い塔に攻撃から身を守るために閉じこもったことを記している。これは塔が非常時の仮の居住の場になったことを物語っている。木製張り出し通廊はバルジェッロなどのモニュメンタルな公共建築のファサードに組み込まれたが、パラッツォ・デッラ・シニョリーアにおける、さらに進歩した高い記念性をもった外観にはもはや木製張り出し通廊は消え失せ、これまでの公共建築にはなかった中庭側に追いやられた。そしてルネサンス期の市民邸館(パラッツォ)に中庭回廊が組み込まれた形式が完成したときには、内観においても外観においても張り出し回廊は事実上時代遅れとなっていた可能性が高い。ここに塔状住居から塔を組み込んだ公共建築、中世後期の擬似パラッツォ、そして中庭(cortile)と中庭から上階にアプローチする階段を備えたルネサンス期のパラッツォへの向かう住居建築の発展過程があると私は推測している。それらの推論を実施調査研究で裏付けたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
現地実地調査の学務との日程調整がつかなかったことによって調査日が次年度以降にずれ込んだことによる。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度以降の実地調査に充当させていただきたい。
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