1172年に建設された都市壁の中を数多くの塔状住居が占拠していた。11世紀後半にはフィレンツェ政府は都市の周辺領域から税の徴収を開始し、法的規制の緩和策によって周辺領主たちを都市内に移住させた。移住した周辺領主たちは、複数の塔を隣接させて組織的編成して集住することで、都市外からも都市内からも自らを防御する体制を維持しつつ都市内での影響力を確保しようとした。本研究では、中世フィレンツェの塔状住居の様態とその発展・衰微の過程を把握するとともに、その後の都市邸館(パラッツォ)の住居形式に与えた影響を、都市国家フィレンツェの支配体制・都市整備との関連において明らかにする。
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