研究課題
本研究では、ナトリウムイオン / プロトン交換輸送体1 (NHE1) が、その細胞内 pH (pHi) 制御活性を介して TGFbeta1 の活性化に寄与する可能性、及びそのメカニズムの追求を行っている。今年度はこの過程で、重要な新知見を得た。すなわち、扁平上皮がん細胞などの細胞運動において観察される運動様式である、集団的細胞運動において NHE1 が必須の因子であることの発見であり、このことは既に論文発表にも至っている。NHE1 は、E-カドヘリン同様上皮細胞の細胞ー細胞間接着部位に集積する。集団的細胞運動は E-カドヘリン接着を保持したまま上皮細胞集団が組織内を移動したり、脈管に侵入したりする現象であるが、NHE1 の寄与については類例の報告が一切なかった。われわれは NHE1 ノックダウンにより頭頸部扁平上皮がんが集団的細胞運動によって長距離を移動することが不能になることを見出した。細胞集団自体の運動は、同一部位で回転するように継続するため、この現象は細胞極性の喪失であろうと考えられる。in vitro においては、NHE1 ノックダウンにより重篤な浸潤性の低下も観察され、がんの悪性度の低下も期待された。事実、NHE1 ノックダウンによりマウス転移モデルにおいて転移性の減少が観察され、さらには、実際のヒトの頭頸部扁平上皮がん組織における NHE1 の発現亢進を認めたことから、がん転移抑制治療の標的としての NHE1 の可能性が示された。また後述の通り、細胞集団内での pHi 分布についても興味深い知見を得ており、今後の重要な進展が期待できる状況となっている。
1: 当初の計画以上に進展している
概要欄に記載した重要な知見を得たので、当初予定の TGFbeta1 活性化機構解析については進行がやや遅れている。しかしながら前述の知見は、現在に至っても実現していないがん転移抑制治療への道を拓くものである可能性があるため、研究自体の価値は極めて高いと考えられる。この価値について更に述べると、NHE1 が寄与することが判明した集団的細胞運動という運動機構は、これまでがん転移の主たる機構とは考えられてこなかった。上皮ー間充織形質転換 (Epitjelial - Mesenchymal Transitoin : EMT) と呼ばれる形質転換により、上皮細胞が E-カドヘリン接着を破棄して単一細胞へと遊離することこそが、がん転移の根本原理であると長く信じられてきており、その分子機構解析、および阻害に多くの努力が払われてきていた。その結果、2015 年にある一つの結論が、独立した二グループからの連報として Nature 誌に掲載された。それは驚くべきことに、EMT はがん転移に必須の過程ではなくむしろ薬剤耐性獲得において重要な過程である、というものであった。がんの悪性化における EMT の重要性は変わらないものの、がん転移におけるそれは強く再考を促されている。こうしたなか、集団的細胞運動こそが、がん転移そのものに関しての根本の機構である可能性が浮上してきており、その中心的分子機構に迫る可能性を今般われわれが呈示した NHE1 がになっている可能性が高いのである。
pHi の分布と細胞極性についての示唆はすでにある。しかしながらそれは単一細胞の運動における寄与を論じたもので、細胞集団における pHi の分布については一切の報告を見かけない。運動する細胞集団においては、少なくとも二種に細胞が大別できる。すなわち辺縁部を形成する leading cell (LC) と、細胞集団内部を形成する following cell (FC) である。運動方向の決定や、それに基づく細胞集団全体の極性制御に LC が大きく寄与することは想像に難くない。事実、細胞集団の運動方向に位置する LC の運動端部分に、活性化型 Rac1 が局在することがすでに示されている。われわれはすでに、LC の pHi が FC に比して低いことを見出しており、さらに NHE1 ノックダウンによって FC の pHi が上昇するのに対して LC の pHi が顕著に変化しないことを見出している。このことは NHE1 の LC における存在意義が、FC とは異なって pHi 制御以外のものである可能性を示していると考えられる。NHE1 の細胞内局在は、前述の通り細胞ー細胞間接着部位であり、LC に存在する非接着面にはほとんど局在が観察されない。細胞ー細胞間に局在する NHE1 は活性を持っているとの報告があるため、LC では相対的に機能的な NHE1 量が少ない可能性があり、このことが LC の pHi を低くしている可能性がある。単一細胞においては、運動端に NHE1 が局在して運動方向の pHi が高い例が示されている。pHi と Rac1 活性の関連に関しては単一細胞においても報告を見かけない。今後細胞集団の運動における pHi 分布と Rac1 活性、ひいてはアクチン細胞骨格の関連を追求し、細胞集団の運動極性のメンテナンスと NHE1 の関連を明らかにする。
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