研究課題/領域番号 |
15K12436
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研究機関 | 東京理科大学 |
研究代表者 |
愼 蒼健 東京理科大学, 工学部教養, 教授 (50366431)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 科学史 / 医学史 / 障害 / 朝鮮 |
研究実績の概要 |
本年度は、大きく二つの計画を実施する予定であった。 1)植民地朝鮮における盲聾の特化、障害者施策における障害者集団の線引きがどのように行われたのかについて検討する。 2)初期アメリカ宣教医療における盲者、聾者の先行的教育・保護、身体障害者への眼差しを検討するための資料を収集する。 2)に関しては、資料収集の事前に、アメリカの資料収集先と連絡を取り合ったが、該当する資料がないことを確認した。現地で確認することを断念し、1)と合わせて、朝鮮人医師集団(キリスト教医学校を含む)の人口調整問題、産児制限問題、優生運動に関する言説を追跡する方向へ、研究を転換することにした。総督府の障害者施策とは別に、それに影響を与える医師集団に着目し、彼らの線引き論を追跡する。 植民地期朝鮮においては1933年に朝鮮人主体の朝鮮優生協会が設立されるが、その中で身体障害者を含む「遺伝性疾患」者に対する産児制限論が主張される。とりわけ欧米に留学した医師たち、セブランス医学専門学校の呉競善らによって強調されていたことがわかった。一方、日本人医師の中では、京城婦人病院の工藤武城がドイツ流の優生学を援用し、遺伝学的見地と称して積極的な産児制限論を展開する。身体障害者に限定した議論はなかなか見つからないが、遺伝性疾患とグループ分けされる中に身体障害者の一部は明らかに含まれていた。朝鮮人と日本人の優生学、産児制限論には共通した部分が多く見られるものの、その目的など一部には差異も見られる。この点を次年度の課題としたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初予定していたアメリカでの資料調査を断念し、研究の方向を一部転換した。そのため、新たな資料発掘に時間が必要となったため。
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今後の研究の推進方策 |
研究実績の概要でも述べたが、今後は植民地期朝鮮における優生学的言説、産児制限論に注目し、医師集団の言説レベルにおいて、障害者集団がどのように線引きされていったのかを検討する。保護・教育の対象となる盲聾者でいる一方、保護されず遺棄される者、積極的な産児制限の対象となる障害者など、線引き基準の変化を検討していく。
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次年度使用額が生じた理由 |
既述した通り、研究計画の一部を変更し、アメリカ出張を断念したことが大きな理由である。
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次年度使用額の使用計画 |
主として、朝鮮人医師集団の優生学的言説が掲載されている資料の調査と発見、研究報告に使用する予定である。
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