朝鮮において身体障害者が社会事業の対象として公論化されるのは1929年以降である。最初に「癈疾不具者」の救護を主張したのは、1913年に創設された京城救護会であった。朝鮮半島における身体障害者対策の言説は、彼らの犯罪再犯率を抑制するという社会防衛的関心から誕生したのである。だが、彼らは「身体障害者」として概念化される以前から、歴史上に存在していた。本研究ではその「痕跡」の一部を、「孤児」や「棄児」として収容した施設(例えば朝鮮総督府済生院)の「死亡者統計」から発見した。1910年代朝鮮の孤児収容施設において「脳性小児麻痺」や「結核性諸病」と類別された死亡者から身体障害者の存在が推測できる。
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