国際学会においてドーピングを禁止する既存の理由に正当性がないとの通説がある。特にリベラリズム、自己決定権を最大限に容認する社会においては成人に対するドーピング禁止は正当化されない。 ドーピングが「禁止薬物使用から遺伝子操作の時代へ」という質的転換がある中で、本研究は「エンハンスメントとしてドーピング論」を考察することを目的とした。エンハンスメント論には、「生の被贈与性」「スポーツの純粋性」「より良い人間」などの論点が見られた。この研究の視点は、スポーツ界のドーピング問題を超えて、現代社会に到来している生命倫理、生命科学の議論と連動し、私たちの未来社会のあるべき姿が問われる課題である。
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