本年度は、キリスト紀年を受容する側が、どのようにしてキリスト紀年を脱宗教化した上で受容してきたかを調査研究した。 ①脱宗教化によるキリスト紀年の導入で最も注目すべきは、明治日本が基督紀元・西洋紀年・西洋紀元・西暦という名称でキリスト紀年を導入したことである。この導入は、いくつか名称表記を変えた後、西暦として定着するのだが、この定着過程を調査研究した。 ②旧共産主義国によるキリスト紀年の受容プロセス:共産主義国家といえどもキリスト紀年を否定して別の紀年を使うことが出来ず、最終的にキリスト紀年を「我らの時代=ナシャエイリ」という表記にすることで、キリスト教色を排除して使用した。この旧共産主義国家型紀年法は、中国では「公元」として導入され1949年に公式に採用された。これらの経緯に関する研究を行った。 ③現在、中国と日本・韓国でキリスト紀年の呼称が異なるのは、そのキリスト紀年導入のルートが異なることを、国会図書館所蔵の新聞の調査により解明した。 ④年表記に関して様々な方法が考案されてきたが、現時点では、キリスト紀年から抜け出すことは不可能である。なぜ抜け出せないのかに関して、特に、17世紀のヨーロッパで出版された種々の歴史年表におけるキリスト教紀年の重要度の変遷を通して、思想史的な視点から研究考察を行った。 ⑤上記の研究成果の一部を、スエーデン、エストニア、ポズナンで開催された3件の国際歴史研究集会で研究発表した。
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