ベートーベンの交響曲第九番の日本初演は、1918年ドイツ人俘虜によって,坂東俘虜収容所で行われた。本研究では、この初演を検討する前提として、ドイツの租借地時代の青島における音楽活動を当時青島で発行されていたドイツ語新聞『青島新報』、『徳華彙報』、『山東彙報』および上海で発行されていた『徳文新報』等に掲載されていた演奏会の予告記事、批評記事等を主な資料としつつ、演奏団体,演奏会場,演奏会の種類・演目の三つの視点から考察した。また、ドイツ・フライブルクにあるドイツ連邦公文書館軍事部門に所蔵されている旧ドイツ海軍の史料をも閲覧し、海軍の軍楽隊の活動や位置づけに関する知見を得た。 本研究により、租借時代の青島では、第三海兵大隊軍楽隊を中心とするさまざまな軍楽隊(膠州海軍砲兵軍楽隊や東洋艦隊の旗艦級の軍艦の軍楽隊等)や芸術科学協会および合唱団、来訪した個人の演奏家等によって、軍事パレードの他、極めて高度な冬季シーズンの定期演奏会や夏季のガーデンコンサートや海岸コンサートなど多彩なコンサートが年間を通じて開催され、当時の市民や軍関係者が本国ドイツにいるのと同じような文化生活(特に音楽)を営んでいたことが明らかにされた。そして、この高度な文化生活に親しんだドイツ人たちが第一次世界大戦後に日本各地の俘虜収容所に収監され、各地でさまざまな文化活動を行い、その一環として坂東収容所での第九の初演につながったものと思われるとの結論に至った。
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