研究課題/領域番号 |
15K12857
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研究機関 | 九州工業大学 |
研究代表者 |
大野 瀬津子 九州工業大学, 教養教育院, 准教授 (50380720)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 感傷小説研究 / キャノン / F・O・マシーセン / 共感 |
研究実績の概要 |
1. 平成27年度の研究を通じて明らかになった課題―感傷小説研究で反復再生産されてきた「キャノンからの女性の排除」という前提の見直し―に取り組んだ。「女性作家はキャノンから排除されていた」という感傷小説研究の前提の根拠となってきた1980年代の二つの論文(ポール・ラウターとニーナ・ベイムによるもの)を考察し、両論文がその前提を実証していない点を指摘した。同時に、両批評家がキャノンを構築物と措定することで、男性中心主義的な現実社会を変えようと試みている点を高く評価した。この成果を、九州アメリカ文学会第62回大会での口頭発表、『中・四国アメリカ研究』第8号での論文発表を通じ、公表した。 2. 感傷小説研究の前提を問い直すさらなる試みとして、同研究分野において「キャノンから女性を排除した」張本人として批判されてきたF・O・マシーセンの文学評価基準について再考した。彼の代表的批評書『アメリカン・ルネサンス』の精読を通じ、後の感傷小説研究者たちが女性作家に認めることになる共感をマシーセンが文学の評価基準としていたことを論証した。この成果を、日本ナサニエル・ホーソーン研究会九州支部研究会第63回で口頭発表した。これを論文化したものが『中・四国アメリカ文学研究』第53号に掲載される予定である。 3. アメリカ古書協会(American Antiquarian Society)で、本研究の遂行に不可欠な資料―ホーソーンの『ファンショー』を始めとする19世紀の大学小説の初版本、同時代の大学生の日記本等の写し―を入手した。 4. 日本ナサニエル・ホーソーン協会九州支部研究会第64回では、他の研究発表の司会を務め、19世紀作家についての理解を深めた。 5.ボードゥン大学で入手した資料の一部を読み、イギリス、ドイツの大学の有り方、スコットランド啓蒙主義についての下調べをするなど、次年度の研究準備を進めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初は平成28年度に、アメリカの大学を舞台とした初めての小説『ファンショー』を感傷主義の文脈から考察する予定であった。しかし感傷小説研究史を紐解いていくうちに、感傷小説研究の前提自体を問い直す必要があると判明したため、28年度はその課題に取り組んだ。結果、感傷小説研究の領域が先行研究の前提を無批判に踏襲し、それらの意義を正しく汲まないまま発展してきたこと、そして新たな研究領域を開拓する際には、現実社会の問題を当事者として引き受け、現実の変革を志す意志が欠かせないことが明らかとなった。また、感傷小説の先行研究に加え、スコットランド啓蒙主義、特にコモン・センス学派についての文献を読むことを通じ、感傷主義が19世紀アメリカの文化・文学に深く浸透していたことも分かった。『ファンショー』の考察は次年度に持ち越されることになったが、今年度の課題への取り組みは、実際に大学を舞台とした小説を考察する上で欠かせないプロセスだったと考えている。 上記の研究を、二回の口頭発表、査読付き論文二本を通じて広く公表できた(もしくは公表予定である)ことは、予想以上の収穫だった。その他、アメリカ古書協会での資料の入手、ボードゥン大学で得た資料の一部の読解、日本ナサニエル・ホーソーン協会九州支部研究会での司会担当など、研究最終年度に向けた準備を着実に進めることもできた。アメリカの大学小説の端緒を読み解く、という本研究の基盤作りは達成できたと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
本研究の遂行過程で、感傷主義が19世紀アメリカ文化・文学の支配的モードであったこと、フェミニズム批評の登場以前からアメリカ文学を共感やセンチメンタリズムと結びつけて評価する文学研究が存在していたことが分かった。今後はこれらの知見を踏まえ、大学を舞台とする小説を読んでいく。ただし、それらに感傷主義の影響を読み込むだけでは十分でない。大学を舞台とする小説には、感傷小説とのプロット上の類似点は認められるが、まさに大学が描きこまれている点で両者は異なるからである。この差異に目を凝らさなければ、大学を描いたテクストに固有の価値を見落としてしまうことになる。加えて、新しい研究分野を立ち上げる際には、現実の問題を当事者として引き受ける切迫性が必要だ、という本研究で得られた洞察に照らす必要もある。本研究は、先行研究を十分掘り下げないまま発展してきた感傷小説研究の系譜にそのまま連なるのではなく、新たな研究領域へと離陸することを目指す。現在日本の大学は、研究・教育機関としての機能を失いつつあり、危機的状況に陥っている。大学とは何か、という問いこそ、21世紀の日本で切迫性を持つと思われる。 以上の点に鑑みて、本研究では、大学を舞台とした小説がもつ固有の価値を掬い上げ、文学研究全体に新たな視点を提供する。そして、大学とは何か、という現代の日本社会における喫緊の課題に応答することを志す。具体的には、大学を舞台とする小説のなかで、大学がどのように描かれているかを分析する。平成29年度は、まずホーソーンの主要作品、エマソンの「アメリカの学者」、ヨーロッパの大学についての文献、および27年度および28年度に入手した資料のトランスクリプトと読解に取り組む。その上で、『ファンショー』のなかで大学がどのように描かれているかを考察する。研究成果は学会の口頭発表を通じて公表し、できればそれを論文の形にまとめる。
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