イギリス人のウィリアム・ペッペが1898年に英領インドの遺跡で釈迦の遺骨を発見し、翌1899 年にタイ王室に寄贈すると、日本の仏教界はタイ王室から1900年にその一部を譲り受けた。覚王山日暹寺はそれを安置することを目的に、1904 年に愛知県愛知郡田代村(現在の名古屋市千種区法王町)に建てられた寺院である(1942年に日泰寺に名称変更)。仏骨を安置するための奉安塔は1918年に完成した。 本研究は明治・大正期の日暹寺の建立・発展の歴史を包括的に再検討することを目的とする。本研究においては、1902年から1926年までの『新愛知』『中京新報』『名古屋新聞』に加え、昨年度からは、方針を少し改めて、代表的な宗教新聞である『教学報知』『中外日報』と各宗派の機関誌を併せて閲覧する形で、研究を行った。平成29年度は、これまでの作業の続きとして、『名古屋新聞』の1925年12月から1926年12月、『教学報知』『中外日報』の1900年1月から1906年10月及び1912年6月から1926年12月の全頁を閲覧し、必要箇所を複写した。また、『[浄土真宗大谷派]宗報』、『教海一瀾』、『[曹洞宗]宗報』、『禅宗』、『六大新報』『四明餘霞』についても同様の作業を行った。 また、今年度は、研究成果の一部として、「明治期の仏骨奉迎・奉安事業と覚王山日暹寺の創建―各宗派機関誌と地方・宗教新聞の分析を中心に―」(『日本語・日本文化』第45号、1-44頁)を発表し、仏骨が1898年に発見されてから日暹寺が建設された1904年11月までの仏骨奉迎・奉安事業の歴史の再検討を行った。
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