最終年度となる本年度は、戦前日本の公法学の法思想史全体に関する研究状況をふまえつつ、上杉憲法学の論点を明確にした上で、論文の形で結実させることに注力した。その際、上杉の思想的変遷を踏まえ、上杉憲法学を以下の三段階に区分して分析すべきとの考えに至った。すなわち、(1)初期(1906年まで):留学前の国家法人説受容期、(2)中期(1912年から1921年まで):帝大教授として活躍し、上杉憲法学の完成期、(3)後期(22年以降):社会学を積極的に摂取し、普選運動にコミットする等の新たな展開を示した発展期である。 その上で、これまで学界で指摘されている上杉憲法学の諸課題を具体的に考察し、解明すべくつとめた。上杉憲法学の諸課題とは、(1) 初期、中期、後期の異同(特に初期をどう理解すべきか)、(2)美濃部との天皇機関説論争の法思想史的意義の検討(上杉と美濃部との理論を比較検討した上で、上杉憲法学の意義を検討)、(3)後期上杉憲法学における社会学摂取の意義(特に、普選運動との関連で)、(4)以上の問題を踏まえた上で、「上杉憲法学が、夙に指摘されてきたように専制主義的で<とるにたらないもの>」なのか?」という観点から、上杉憲法学の積極的意義を見出し、その再構築を試みた。 初年度・2年目の研究の蓄積をふまえ、それぞれの課題について、一定の見通しと目処をつけているところである。ところが、本課題を具体的な業績として研究期間内に公刊することは叶わなかった。それは、本課題の地平がヘーゲルやプラトン等の国家論やルソーの法理論、コント社会学にも及び、予想以上に広大深淵となり、この消化と上杉憲法学と如何に接続させるかに手間取ったためである。ただし、研究成果として形にできる目処はついており、今後速やかに研究業績として発表・報告していきたい。
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