保険契約はリスクに応じた保険料を保険契約者が支払うものである。リスクと保険料との間には対応関係が求められる(給付反対給付均等の原則)。したがって、保険契約はリスク評価という点ではリスク情報が重要である。保険契約者または被保険者を中心とした顧客およびその周辺情報を収集したとき、データには人も物も峻別する境目はない。 まず、ビッグデータを基礎に、ある人またはある物との相関関係を捉えてリスク測定をすることを考えると、保険契約者および被保険者とそれ以外の家族を識別してそのリスクを特定したりリスクを評価したりする必要はない。たとえば、保険契約者または被保険者以外の家族の疾病から遺伝病が明らかになることもある。すなわち、特定の人の情報がその人以外の者から収集したデータから明らかになる。 このことを推し進めると、第2に、データの前では、近代法が前提とする人と物とを峻別が相対化されるおそれがある。たとえば、自動運転車事故に対し当該車に責任主体を認めるべきだ(人工知能に責任を認める)という説はこのことを意味し、筋電義手も身体の一部と評価すべきか物と評価すべきか悩ましい問題が生じる。 このような近代法上の原則、そして保険法の原則を揺るがしかねない問題がデータの前に生じていることが研究の過程において明らかとなり、本研究では、この問題にも触れ考察した。結論としては、自動運転車に責任主体を認めるのは時期尚早であるが、人か物か区別がつかない筋電義手のようなものに対しては、傷害疾病「準」定額保険という概念を認め、柔軟にリスク対応することが進展する科学技術を社会に受容することにつながるのではないかと考えている。今日、どのような法理論を構築し新技術を社会に受容していくべきなのかということも法学の役割として社会に求められているように思われる。
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