本研究の目的は、ヴィクトリア時代末期に徹底した合理主義の立場から宗教批判の論陣を張り、ジャーナリストおよび学者として膨大な記事や著作でブリテン中産階級に大きな影響を与えながら、その後ほとんど忘れられたJ.M.ロバートソン(1856-1933)を再発掘することであった。 結果として第1に、宗教改革期以降の新たなキリスト教批判の系譜の中にロバートソンを十分位置づけることができることを、彼の膨大な「自由思想」研究の内容から確認した。 第2に、ロックの経験論的認識論の定立を契機とした理神論第2世代から懐疑主義、合理主義的無神論ないし不可知論へのブリテン宗教批判の展開をロバートソンが的確に整理・評定したことを確認した。併せて、彼の知的活動自体が、“科学の時代”と言われたヴィクトリア時代において合理主義的宗教批判のポピュラー・サイエンスとしての世俗的拡大であったことも確認した。 第3に、ロバートソンの上記の思想の具体的実践であるロンドンのサウス・プレイス倫理協会での非宗教的道徳啓発活動の概要を、同協会での複数回の資料調査とGoogle Ngramによるテキスト・マイニングの利用によってある程度明らかにした。加えて、この世俗的な道徳心醸成の活動が、先行者ベンサムの政教分離論やJ.S.ミルの直観主義批判の影響を受けたものであることも示唆することができた。この最後の点は、同協会を中心としたJ.A.ホブソンとの協力関係の解明も含めて、当初計画した2名の連携研究者との連携が必ずしも十分でなかったことにもよるが、より詳しく解明すべき今後の課題として残された。 背景をなすヴィクトリア時代中期までの宗教事情については、スミス、ミル、ニューマンなどに即して既に報告・発表したので、今後は以上の中核的成果を順次内外の関連学会、大学紀要、関連学会誌に発表していく予定である。
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