本研究では、共通コードとしての言語を学ぶことが身体性を反映しながら個性的に学ぶことと不可分との認識から、そのような言語の教育を、書論『入木抄』の分析から明らかにしようとした。そこで口伝である『入木抄』の指導上の特徴として、書を学ぶ前に、学んだ後のことを知らしめすためにコノタシオン/デノタシオンに相当する言説が用いられていることを抽出した。さらに、抽象的価値概念である「能」を具体化する工夫として、指導にはレトリックが多用されていることも抽出した。レトリックによって『入木抄』では「能」の高みがあることを示し、さらにそこに至るための修養の具体的な過程が論じられた。その過程に相当するのが書写であろう。書写の指導に関しては、揮毫の心構えや稽古の時間・方法ほかが体系的にかなり詳しく述べられているが、そこに共通しているのが言語の身体化であったと考えられる。 書において身体化に重要となるのは稽古だけではない。特に初学者に対して、料紙・筆・墨などの書道具への言及がなされているのは、言語と身体の間に、道具を介したアフォーダンス的な関係が想定されていたからと考えられる。そこで、当時に近い書道具を使った試作によって、追体験的に、実証的な分析をおこなうべきであるがこれはかなり難しい。そもそも、『入木抄』当時の書道具、料紙や墨の材料・成分などが明らかになっていない。さらに、たとえば現在の水筆に対するかつての巻筆のように、文献から当時の道具をある程度推定できても、現在それらを入手することもかなり難しいからである。 今後の研究として、方法論的には、当時の書道具を分析して試作をおこなう実証的・解析的な研究と、目的論的には、書のめざすべき美的価値が何であったのかの、概念形成史的な研究とが必要である。それは、目的と方法が相まって「能」が継承され、この継承は教育を通じておこなわれてきたと考えられるからである。
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